自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

今でしょ 林修さんの主張を考える

 

今でしょ

 

で人気になった予備校講師の林修さん

 

幼い頃から情報処理能力が高く、

 

ガリ勉せずとも東京大学に合格。

 

卒業後はビジネスに手を出すも次々と失敗

 

行き着いた先は予備校講師で、

 

国語の先生として人気を博す

 

そこからCMでのフレーズがウケて全国区の人気者になる、

 

と。

 

いわゆる頭のいい人ですね。

 

情報処理能力がずば抜けています

 

論理の世界で活躍できるタイプ

 

そんな林修さん

 

2つほど気になる持論を展開していたので紹介します

 

1つ目

●浪人制度は大反対

参考URL: https://search.yahoo.co.jp/amp/s/getnews.jp/archives/2111415/amp%3Fusqp%3Dmq331AQNKAGYAdXgo6KyraD-dQ%253D%253D

 

大雑把まとめ ↓

- 合格枠数から考えれば、浪人生がいなくなれば浪人する現役生はいなくなる

- 大学の価値は下がってきているので、浪人してまで学歴に固執するメリットは浪人生にない

-  以上の観点から浪人制度を廃止することは現役生、浪人生のためになる

 

2つ目

●仕事は「やりたいこと」より「できること」で選ぶべき

参考URL: https://search.yahoo.co.jp/amp/s/news.careerconnection.jp/%3Fp%3D65604%26amp%3D1%26usqp%3Dmq331AQNKAGYAc3v6JWql9r9CQ%253D%253D

 

大雑把まとめ ↓

- 仕事の選び方をできる度、やりたい度の2軸で考える

- ①やりたいしできる ②やりたくないしできない ③やりたいけどできない ④できるけどやりたくない

- ①がベストだがこれは難しい、②は論外

- やりたいこと、つまり好き嫌いは外的要因によるものでこれから変化する可能性もある、できることは才能なので変化する可能性は低い

- そのため成功するには確率的に④できるけどやりたくないを選ぶべき

 

 

これらの持論を見たとき、両方とも、たしかに...と感心させられました。

 

浪人生も現役生もハッピーになるならそれに越したことはないですよね

 

仕事だって皆がやりたいことで成功できるとは限りません

 

やりたいよりも、できるを優先したら成功しやすい

 

その通りかもしれない

 

でも、どこか引っかかった部分があったんです

 

皆さんの中にも、これはちょっと...と思った方がいたんじゃないでしょうか?

 

なぜ、どこに引っかかったのか考えてみました

 

_____________________

 

 

浪人制度について

 

まず思うのは、浪人生側も色々事情あるでしょ、ということです

 

林修さんによると、18年間やってきてできないなら潔く諦めろということでしたが、

 

環境って人によって結構違いますよね

 

中学まではイジメられて勉強どころじゃなかった、家庭がギクシャクしていた、貧乏でそれどころじゃなかった、勉強が面白いと思えるきっかけに出会えなかった、等々

 

ギリギリになってやっぱり挑戦してみたいって人は結構いると思うんです

 

他にも、浪人には大人や医学部希望者も含まれていますよね

 

どうしても日本で医者になりたい人は医学部受からないとダメだし、大人になってから急に学びたくなった人もいる

 

浪人制度廃止はここら辺のマイノリティを完全無視した考えだと思いました

 

次に仕事選びについて

 

たしかに確率的にはできることをやるのが一番成功しやすいのかもしれません

 

ですが、人ってそんなに長所短所はっきりしてますかね

 

林修さんのように、情報処理能力というはっきり突出した長所を持つ人は稀なんじゃないかと思います

 

大体の人の長所って、他の人よりまあちょっとはできるかな、ん、ほんとにちょっとだけね、という程度で、

 

この長所があれば他者との圧倒的差別化ができる!

 

というようなものではないと思うんです

 

だからできることをやれと言われても、うーん、となる

 

そしてできそうなことを仮に見つけたとしても、突出が足りないから本当にうまくいくか心配

 

やりたくないからのめり込めなくて、ただただ苦痛

 

そんな負のサイクルの中、結局、一番最悪の「やりたくないしできない」の状態になってるんじゃないでしょうか

 

つまり、林修さんのいう「できる」の定義が実はごく一部の人にしか当てはまらないので、理屈通りにはいかないのではないか、ということです

 

私は初めて林修さんの持論を聞いたとき、血が通ったものだなと感じました

 

おそらく机上で編み出したものではなく、実体験から生み出した知恵なのではないでしょうか

 

浪人制度廃止については、自身の東大ブランドが社会で役立たなかったことが強く反映しているのでしょう

 

浪人という辛い思いをしてまで学歴にこだわる必要はない、と

 

そして仕事選び、これは事業を次々と失敗した経験からきているのではないでしょうか

 

情報処理能力の高い俺でも事業は無理だった、ってことは得手不得手ってのは絶対ある、お前らも自分のできることは自覚しとけよ、と

 

経験に基づき本心から語っているからこそ話題にもなったんだと思います

 

ただ、

 

両方の持論に共通して思うことは、

 

これは「強者の理屈」だということです。

 

林修さんは常に強者の立場からものを見ています

 

浪人制度については、東京大学文Iに合格した方ですからしょうがないとも思いますが、枠から外れた弱者がまったく見えていません

 

上に書いた通り事情が複雑な人は大勢います

 

その人たちから学習する機会を奪うことはどうなのでしょうか

 

そして仕事選びについても、「できる」部分がない人なんていないと思ってるんでしょうか

 

「できる」の定義を、頑張らなくても他の人よりはできること、頑張ること自体が苦ではないこと、と言ってますが

 

大多数はその「できる」がないから困ってるんです

 

ここでも、「できる」ことがあった林修さんの強者の立場が見え隠れしていたように思います

 

ナチュラルに、前提がもう強者の視点

 

先ほど、林修さんの持論は実体験に基づいているから話題になったと言いましたが、

 

そこが良いところである反面、穴でもあるように思えます

 

体験は主観であり、主観は普遍性を持たないから

 

そうなると当然受け入れられない人も出てくる

 

もし林修さんが授業についていくのもやっとの生徒だったら、このような考えになったでしょうか?

 

僕はできない側の生徒だったので、できない人の気持ちはよく分かります

 

できない側だから林修さんの意見が強者の視点だと感じました

 

僕自身勉強を面白いと思えるきっかけがなかなかなかったし、

 

仕事選びもそもそも「できる」がねえぞということになった

 

林修さんの主張が決して間違っているとは思いません

 

同時に僕の意見も間違っているとは思いません

 

立場の違い、目線の違い、経験の違い、環境の違い、

 

これらがズレることで、見える世界が大きく変わることが分かりました。

 

Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen.
(常識とは18歳までに培った偏見の塊である)

 

アインシュタインの発言ですが、

 

今ならこの言葉を身近に感じられます。

 

あー、理解し合うってここが難しいんですね