自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

ガルシアマルケス 100年の孤独 感想

 

100年の孤独を読み終えた。

 

マコンド村の創立から衰退までの100年間を、ブエンディア一族を通して描く物語。

 

登場人物は入れ替わり立ち替わりし、ブエンディアの人間も次々に世代交代します。

 

また一族はアルカディオ/アウレリャノと似たような名前を何世代も受け継ぐので読んでいて混乱します。

 

さらに、空飛ぶ絨毯や死者の亡霊という超常現象が当たり前のように登場するので特殊な世界観の構築が必要です。

 

現実と虚実、未来とも過去とも思える浮いた時代、斜め上の思考な人々、見えない真実、近親相姦、廻る運命、、、

 

何かメッセージは感じるけれど、真意を掴もうとすると、ぐにゃりと形を変えるような本でした。

 

とはいえ、単純に物語として面白いので読み通すことは簡単にできます。

 

なんか論語に似てますね。

 

心理描写はあまりありません。

 

「叙情は糞だ」、「文学は人間をからかう最高のおもちゃだ」、と文学好きの登場人物にも言わせています。

 

そういえば日本文学も評価されるのは内面をじめじめ描くものではなく、行動の描写を淡々と描くものが多かった気がします。

 

人間の内面なんていうのはジョークみたいなものなのでしょうか。

 

あくまで雰囲気を楽しむに留めて、細かく解剖したところで野暮、そんなことしたって何もないよって。

 

マコンドの村も、ブエンディア一族も何も残りませんでしたね。

 

あれほど恐れられていた「豚のしっぽ」と呼ばれる近親相姦の結果である子供も誕生したところで、特に何があるわけでもなく虫の餌にされて終わりました。

 

マコンドも戦争や商業、数年続いた雨季や干ばつを乗り越えた先で、なんとあっけなく風によって更地に戻ってしまった。

 

孤独というよりは、虚無なんて言葉のほうが感じるところでありました。

 

ただ、それは結果としてそうであっただけで、まさにホセ・アルカディオ・ブエンディアがそうであったように、その道中においては楽しく面白く、ワクワクしたり怒ったり哀しんだりすることがありました。

 

そうでありましょう。

 

そうでなかったら、この本は470ページ近くも何を長々と書いていたのか。

 

『マコンドの村はホセ・アルカディオ・ブエンディア一行により開拓されたが100年後には虚しくその歴史を閉じました。』

 

この一行で収まらないところがあるから、470ページも文字を連ねてきたのだろう。

 

人間賛歌、とまでは言わないけれど、この本は少なくとも人間の人生を肯定した本であることは、この本の存在自体が証明していると思う。

 

人間、人間の人生、人間をからかう文学

 

この壮大であり形のぶれるテーマにブエンディア一族を引き連れてぶつかったガルシアマルケス

 

面白かった。

 

そして、一族のみならず、ピラルテルネラという身近な女の存在も忘れてはならない。

 

外部からのパワーというのは人間に大きな力を与えてくれるようだ。