自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

嘔吐(吐き気)について

 

「嘔吐」を読み終えた.

 

発行所: 人文書院,  訳者: 白井浩司

嘔吐 新訳

嘔吐 新訳

  • 作者:J‐P・サルトル
  • 出版社/メーカー: 人文書院
  • 発売日: 2010/07/20
  • メディア: 単行本
 

 

昨日, 「嘔吐」を読み終えたら, 何かしらの形でアウトプットすると公言してしまった.

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読破すればとりあえず得るものがあるだろうという考えだった.

 

甘かった.

 

「嘔吐」の内容は主人公ロカンタンの日記のみで構成されている.

 

そのため視点は常にロカンタンで固定されているのだが, どうも表現や言い回しが難しい.

 

いや, ロカンタン視点だからこそ難しいというべきか.

 

というのも,物語の途中でロカンタンは狂人の一歩手前まで足を踏み入れるからである.

 

狂人であることは本人も間接的に認めている (精神病と診断されたアシル氏という人物を同類と見做すシーンがある).

 

狂人なので, 当然文脈はめちゃくちゃ, 難解な言い回しのオンパレードというわけだ.

 

分かったことは何だろう...?

 

ロカンタンはド・ロルボン侯爵という人物の歴史調査をしていたのだが, この仕事と, 元恋人のアニーという女性, さらに美術館に飾られていたいくつもの肖像画, これらのことが「過去」「実存」「存在」等の概念と結びついていることは何となく感じられた.

 

ロカンタンは過去は存在しないという立場をとるが, 最終的には過去における自分を認める事になる.

 

ああ, これぐらいだ...

 

数分考えてみたけれど, これ以上は出てきそうもない.

 

何というかこの「嘔吐」は意見の提示というより, 問題の提示のように感じられる.

 

例えば, 日記に度々独学者という人物が出てくるのだが, この人物もまたロカンタン的で, 芯のある意見をロカンタンに投げかける.

 

つまり, ロカンタンはサルトルの分身であることは間違い無いと思うが, この独学者もまたサルトルの一部であって, 自分の中の矛盾をキャラクターや事象に振り分けて戦わせているように思えるのだ.

 

だから分かりやすい答えなんてないし, どちらかというと問題提起のように感じたのかもしれない.

 

う〜ん...

 

難しい...

 

アウトプットできるかなこれ...

 

 

 

ps.

ロカンタンが美術館に出向くきっかけになった肖像画(オリヴィエ・ブレヴィニ)の違和感は, 結局オリヴィエの低身長(1.53m)がオチだったが, 著者サルトル自身も低身長(ネット調べでは1.53m! )だったらしい.

 

やはり日記に出てくる人物や事象はサルトルの分身ではないのか...?

そういえば, 独学者は少年に淫らな行為を働いたり, ロカンタン自身はカフェのマダムと関係を持ったり, 性に関する描写がやたら堕落してる印象があったな.

サルトルも恋愛に関しては自由奔放でやりたい放題だったらしいし, 「嘔吐」ってサルトル自身のことを包み隠さず晒している本なのかも?