自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

正しさを身につけることはできない。Youtube キッズチャンネルについて

ジェントルメーン

 

日中、

 

ふと、「Youtubeに子どもを載せる動画」ってどうなんだろうと思いました。

 

子どもが商品紹介をしているようなものです。(キッズチャンネルというらしい)

 

動画をみてみると子どもたちは楽しそう。

 

一見、何の問題もなさそうです。

 

でも、どこか引っかかったので、ちょっと考えてみました。

 

結論は、

 

正しさを身につけることはできない。だから、与えられた状況で自分にできる最大限のことをしよう。

 

です。

 

ちょっと何言ってるかわかんないですよね。

 

Youtubeの話からわりと飛躍して抽象度高めの結論になりました。

 

なぜこうなったのか、その理由を書いていきます ↓

 

 

 

Youtube ロゴ

引用: https://www.youtube.com/yt/about/media/downloads/youtube_full_color_dark_logo.zip


 

 

Youtubeに子どもを載せる動画ってどうなんだろう?

 

いいのか。それとも、よくないのか。

 

引っかかるものの、どこに引っかかっているのかもモヤモヤした感じだったので、

 

まず子どもが動画に出ることで得られる(子どもとっての)メリット・デメリットを思いつくかぎり列挙しました。

 

これを考えるのにちょっと悩んだんですが、後々、その理由は判明します。

 

メリット

  • 広告料がもらえて家族に貢献できる
  • 人気者になれる(承認欲求が満たされる)
  • そもそも動画出演・制作が好き
  • 普段できない遊びができる
  • 特殊体験が後でプラスに働く可能性がある

 

デメリット

  • 本人の意思がなく出演を強制させられている可能性がある
  • 見られたくない映像も後世に残る
  • 学校生活に支障をきたす可能性がある(からかい・いじめ)
  • 特殊体験が後でマイナスに働く可能性がある

 

メリットが実現するならいいですよね。プラスのことばかりで問題なさそうです。

 

なので、デメリットに着目していきましょう。

 

「本人の意思がなく出演を強制させられている可能性がある」

 

親がお金欲しさに強制的に出演させているパターンですね。

 

子どもは色々考えますから、一見笑顔でも、実は親のために無理して頑張っているという可能性はあります。

 

さらに、「本人の意思」というのが引っかかります。

 

果たして、5, 6歳の子どもは適切な意思決定をできるでしょうか。

 

法律上は、未成年者は適切な意思決定ができないと考えられています。

 

大体のことは親の同意がいりますし、少年法でも考慮されてますよね。

 

ん?

 

「適切な意思決定」という部分も引っかかりました。

 

これって、大人でも難しいことなんじゃないかな。

 

難しいというか、そんなこと人間には無理なんじゃないかって思います。

 

(結果的に、この引っかかりが結論に結びつくことになります)

 

無理だと思いつつも、強引に次の展開を考えます。

 

「5, 6歳の子どもは適切な意思決定ができない」とするならば、子どもが起こす行動の責任は誰にあるか?

 

→ 責任の所在は親にある

 

親に責任があるとするならば、親はどう責任をどう取るのか

 

→ .......。

 

ここで僕は、「責任」という言葉の曖昧さに悩まされました。

 

「責任」てなんだ?

 

ウィキペディアさんから一部引用させていただきます。

ある人の行為が本人が自由に選べる状態であり、これから起きるであろうことあるいはすでに起きたこと の原因が行為者にあると考えられる場合に、そのある人は、その行為自体や行為の結果に関して、的な責任がある、または道徳的な責任がある、とされる。

引用: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AC%E4%BB%BB

 

> ある人の行為が本人が自由に選べる状態であり、

 

もうすでにおかしいですよね。

 

責任って他人が請け負えるものではない。

 

Youtubeにでると、映像は残るし、もちろん体験も本人に強く残ります。

 

体験がプラスに働けばいいけど、

 

マイナスに働いて、事件を起こすことだってある。

 

その場合、これは誰の「責任」になるんだ?

 

以前、秋葉原通り魔事件という痛ましい事件がありました。

 

報道の一部に、

 

「犯行動機には子ども時代に受けた教育が深く関係しており、犯行のそもそもの原因は親である」

 

というものがありました。

 

ですが、刑罰が執行されたのは親ではなく、犯行を実行した本人です。

 

結局、親は責任なんて取れないという例ですね。

 

.......。

 

あれ、おかしいぞ。

 

子どもは適切な意思決定ができないので親が代わりに意思決定する

さらに責任の所在は子どもではなく親にあるが、親は子どもの責任を取ることはできない

 

??????

 

こんがらがってきました。

 

よく分からなくなってきたので一旦進行をストップして、振り返りをします。

 

そこで、引っかかっていたけど無視した「適切な意思決定なんて無理なんじゃないか論」を再度引っ張り出してくることにしました。

 

ここで、メリット・デメリットの列挙のときに感じた、どうも難しいなという感覚が活かされます。

 

特殊体験が後でプラスに働く可能性.....?

特書体験が後でマイナスに働く可能性......?

 

 

どっちなんだよ.......

 

 

あっ、

 

 

正しいとされることは、結果論にすぎないんだ。

 

そうです。結果的によかったから、正しいと言われるんです。

 

たとえば、将棋の世界には中学生にして偉業を成し遂げた藤井聡太さんがいます。

 

彼は幼少期にモンテッソーリ教育という少し変わった教育を受けていました。

 

藤井さんは将棋界で偉業を成し遂げたので、モンテッソーリ教育はもちろんいいものだとみなされるでしょう。(現に、子どもにモンテッソーリ教育を受けさせる親御さんが増えました)

 

ですが、もし何かの拍子で藤井さんが犯罪を犯してしまったとしたらどうでしょう。(例とはいえ、藤井さん申し訳ありません)

 

原因はあの少し変わったモンテッソーリ教育のせいだ!その教育を受けさせた親のせいだ!となるのではないでしょうか。

 

どうも良し悪しは結果に左右されるようです。

 

藤井さんが偉業を成し遂げたから評価されたモンテッソーリ教育

 

もし藤井さんが悪行をおこなっていたら非難されていたであろうモンテッソーリ教育

 

藤井さんが将来どうなるかなんて、誰にも分からないことでした。

 

ということは、誰の考えが正しい・正しくないなんて、現時点では分からないということです。

 

言い換えると、誰も正しさを身につけることはできない

 

こう考えると、「Youtubeに子どもを載せる動画」は、問題ないんじゃないかと思います。

 

もちろん、最低限のやっちゃいけないことはあります。

 

誰も正しさを身につけることはできないんだから、何をやったっていいとはなりません。

 

社会全体で守っているルールとしてそのために法律があります。

 

上に挙げた秋葉原通り魔事件の親は虐待をしていました。

 

これは確実にやってはいけないことです。

 

僕が言っているのは、あくまで最低限のルールを守った上で、どういう選択をするかは自由であり、それは親と子の間においても適用されるということです。

 

正しさを身につけることはできない。だから、与えられた状況で自分にできる最大限のことをしよう。

 

おわり