息子と父親
今週のお題「おとうさん」
この世には、不思議な関係がいくつかある。
父親と息子。
最近、講義で単為生殖の話を聞いた。
単為生殖というのは、オスがいなくてもメスだけで子孫を残せることだ。
話によると、どうやら、単為生殖というのはわりと多くの生物ができるようだ。
身近なところでいくと、ヘビやトカゲ、サメなど。
なんでも今では、人間が手を加えれば、マウスだって単為生殖できるらしい。
哺乳類なんて人間の親戚みたいなもんだから、人間だってそろそろだろう。(倫理的に揉めると思うが)
さて、そう考えると、父親の意義ってなんだろう。
亭主元気で留守が良い、といわれるように奥さんからは厄介者扱いされるし、子どもだって大体は母親のほうに懐く。
加えて、最近は女性の社会的地位があがってきており、男性の武器である経済力も衰えつつある。
これで人間が単為生殖なんてしだしたら、父親たちの立場はどうなる。
父親はもう、お役御免なのか。
いや、そんなことはない。
母性が偉大であるように、父性もまた偉大であるのだ。
父性が偉大であるから、父親もまた大切な存在なのだ。
ただ、父性というのは理解するのに時間がかかる。
母性が幼子でも理解できるほどまっすぐな感情であるのに対し、父性は入り組んでおり、あとになってから分かることが多い。
おそらく大体の人は、お金を稼ぎはじめる年頃になって、ようやく父の想いに気づき始めるのではないだろうか。
では、父の想いとは、父性が与えるものは何か?
父性の根源は子に対する愛情だと思うが、
そこから派生する想いの中でもっとも特徴的なものは、
強さではないか。
たとえば、ボクサー・辰吉丈一郎さんがそうではないだろうか。
辰吉さんの「とにかく負けを認めるな」という言葉は、父親の粂二さんから受け継いだものらしい。
辰吉さんは言葉通り、チャンピオンのまま引退するため、今でも前に進み続けている。
私も以前ボクシングをやったことがあるので、
辰吉さんの挑戦は想像するだけで込み上げてくるものがある。
それほど辰吉さんはとんでもないことに挑戦しているのだ。
とにかく、そんな辰吉さんの持つ強さは、粂二さんから教わったところがあるんじゃないか、と言いたいのである。
息子にとって、父親というのは特別で、
父親というのは、息子にとって憧れなのかもしれない。
だから、父親のいうことならどこか信じられる。という気持ちになるのだろうか。
かくいう私も、心のどこかで父親の影を追っているところがある。
タイプが違うので、同じように生きることはできないが。
ただ、父の背中をみてきたからこそ、
私は自分の足で歩けるのかもしれない。