自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

ラベルをみてちょうだい

 

最近、やたらと考えてしまうことがある。

 

うまく言葉にするのは難しいのだが、

 

頑張ってまとめてみると、

 

「物事を概念として捉えてしまうことから、人間は避けられないのか?」

 

といった具合である。

 

すこし具体的にいうと、

 

イスをイスと見るのは、私たちがイスというものを知っているから、といった感じである。

 

イスと呼ばれるそれ自体はただの木なのに(ここでは木製のイスを想定)、どうして森に転がってる木はイスと呼ばないのだろう。

 

また、もしイスは座るためのものだからただの木ではないという意見があれば、

 

森に転がっている木だって座れるじゃないか。と思ってしまう。

 

仮に私が森で原始的な生活をしていたとすると、座るのにちょうどいい木には座ってしまうはずだ。

 

そうなれば、森に住む私からみたらその木は紛れもなくイスである。

 

冒頭ではこれを「物事を概念として捉えてしまうこと」と紹介したが、

 

もっと簡単にいうと、

 

これはラベル付けである。

 

私たちはなにかに対してラベルを貼らねば、それが何かも分からないのだろうか。

 

そんなことを最近、よく考える。

 

 

名まえをみてちょうだい (1980年) (ポプラ社文庫)

名まえをみてちょうだい (1980年) (ポプラ社文庫)