自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

大放浪 ~小野田元少尉発見の旅~ を読んで

 

「小野田元少尉、雪男、そしてパンダを見つけるのが僕の夢である」

 

 

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冒頭は名著「大放浪」(出版:朝日文庫)を上梓した鈴木規夫さんの言葉だ。

 

大放浪は著者の心情を交えて放浪の体験を描いた自叙伝である。

 

大学を中退してからアジア・ヨーロッパ、アフリカまで放浪するのだが、

 

ふと入った茶店で一時帰国を決意するときの話がまたおもしろい。

 

私はこの話こそ鈴木さんを象徴しているように思う。

 

なんでも店の壁には一枚の絵画が掲げてあって、

 

その絵は砂漠の街を背景にマホメット(ムハンマド)と彼を迫害する人々が描かれている宗教画だった。

 

それを見た鈴木さんは酷い迫害を受けても毅然としたマホメットの姿と、放浪中にツバを吐きかけられたり石を投げられた自分に重なりを感じた。

 

瞬間、人間こそ神だと気づく。

 

何かを求め続けてきた放浪。

 

何かとは神だったように思う。

 

だが何かは一向に見つからず。なぜなら神様は自分自身であり人間が神様だから。

 

そのときの気持ちを鈴木さんは以下のように述べている。

 

> ...つまらない空虚感ではなかった。むしろずしっと腹にこたえる充実感のようなものを感じていた。ふと「いままで探していた神は、俺自身だったんじゃないか。そうだ!俺は神だ。人間こそ神だ。神というのは人間のことだ。神は人間で、人間は神だ。」

僕はうれしかった。長い間かかって探していたものを発見したんだ。なぜかホッともした。

引用: 大放浪 小野田元少尉発見の旅 朝日出版  p158~159

 

こうして鈴木さんはヨーロッパ行きを中断し日本へ帰国することにした。

 

充実感がある・ホッとした・帰国する、これらの言動は私に「鈴木さんは自分に正直でありたい人なんだな」という印象を与えた。

 

なんというか、この帰国話は鈴木さんの人間性を強く押し出している気がするのだ。

 

大きなことをしたい気持ちはあるけど、何かを変えるだけの力は自分にないし、でも自分に正直でいたいし、なんかやるせなさっていうか、あーもう色々めんどくせぇって気持ちになるけど、それでもやっぱり何かを成したい気持ちはずっとあって、だからもう思い切って海外に出てきたはいいが、思ったよりうまくいかないし、結局ここでも自分の無力さを知らされて、でもそれでも頑張ってきたことはあって、それなりに胸をはれることもあって、俺は小さくねえぞって思える自分もいて、結構すごいことも発見したし、一旦ここらで区切りをつけてもいいんじゃないかなって、うん自分に嘘はついてないぞ、納得した上で帰れるな、じゃあ一旦日本へ帰ろうか。

 

以上、私の中の鈴木さんである。

 

 

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ちなみに私はこの話を聞いたとき、漫画「I(アイ)」(作: いがらしみきお)をふと思い出した。

 

Iの主人公である雅彦もまた、神様を求めて国内を放浪し最終的に似たような発言をしている。

 

人間は神様。神様は人間。

 

そういえばキリストも人の姿をしているし、ブッダも人であるし(神様ではないが)、人間が人間に神を見いだすのは宗教史的にも王道だ。

  

神様と人間を同一視することは人間中心主義に陥りかねないなので、私はこの考え方はあまり好きではないのだが、人に救いを求めてしまう気持ちは少し分かる気もする。

 

 

うーん。

 

 

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大放浪の一番の特徴はその熱さにあると思う。

 

何か成したい情熱を持て余し、それを放浪でしゃにむにぶちまけていく鈴木さんの文章は読んでいるこちらまで熱をもらえる。

 

ページを追っていくと鈴木さんは超人でないことが分かるし、その上で果敢に挑戦するので心が動かされるのだ。

 

その後、鈴木さんは雪男を探しにいったダウラギリⅣ峰で残念ながら遭難してしまったが、何かを求め続けるその姿勢はまさに「かっこいい男」だと思った。

 

 

 

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論文

 

さて、今日の論文は、地蔵の配置から都市の空間的特徴が分かるというものだ。

 

普段特別に地蔵を意識したことはなかったが、なるほど確かに地蔵は自治会等の共同体によって管理されており、 とすれば、地蔵から共同体を分けられる、ひいては空間の単位を決めることもできそうだ。

 

それでは早速読んでみよう。

 

タイトル: 京 都に おける地蔵の配 置に関 する考 察

 

URL: https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/64/520/64_KJ00004225472/_pdf/-char/ja

 

【目的】

都市における聖祠の分布状況を明らかにすることによって、都市空間のあり方を考察すること

 

【用語】

聖祠・・・共 同体によって街 路などの共用空 間に置か れる小さ な宗教 施設(地 蔵や稲荷)のこと単位空間・・・空間を一定の尺度で分けたもの

 

【前提】

⑴都市空間はそ こ に住む 共同体に よって形成 さ れ るものである

⑵聖祠は共同体に よって祀られ管理されるため、共 同体の構成 する単 位 空間が 明 示 さ れ る

⑶共同体は聖祠によって帰属意識を確認しあうため、聖祠は共同体の精神的な核である

⑷聖祠の配置場所から対象の都市空間の特質を読み取れる

⑸本研究の対象は場所を京都、聖祠を地蔵とする

 

【結論】

⑴京都の単位空間 は「町」である

⑵地蔵の配置の特徴は3つに類型できる (=空間の特質)

  Ⅰ. 境界型 → 地蔵が物理的に単位空間を分けている

  Ⅱ. 中心型 → 地蔵が象徴的に単位空間を分けている

  ⅲ. 不特定型 → 地蔵は個人的な信仰要素のために置かれている⑶京 都の都市 空間 は、幾つかの単位空 間の重なりによって構成 されている