自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

立場

 

今日、二つ出来事があった。

 

一つは、バイトの面接。

 

人が足りないところへお助けマンとして駆けつけるバイトだ。

 

小さい部屋で16人ぐらいの希望者と一緒に、長い間説明を聞かされた。

 

これまでバイトはいくつか経験してきたが、正直バイトの説明会ほど意味のないものはない。

 

そんなであるから、ひとつ暇を潰そうと周りを観察してみた。

 

どこにでも面白いものは転がっているものである。

 

ここでは、面接希望者と面接官の関係性に着目した。

 

面接希望者は働くことで価値を提供するのだから、本来であれば堂々としていればいい。

 

だが小部屋にいる面接希望者はどれも、どこか萎縮した様子であった。

 

左右からしきりに生唾を飲む音が聞こえて、こちらまで緊張が走ってしまう。

 

一方、面接官。

 

彼らはどことなく誇らしげな様子だ。

 

表面上は素知らぬ顔を装っているが、よく見れば顔がちょっと上向きになっており、頰が気持ち上に釣り上がっているのである。

 

人間が優越感に浸っているときの顔である。

 

これも本来であれば、面接官は希望者の適性を見極めることが仕事なので、特別誇らしいことはないはず。

 

だが、そんなことは建前だ。

 

面接官も希望者も、自分の立場と相手の立場を瞬時に見抜いて、それぞれが自身の利益を最大化しようと努めていた。

 

立場に支配されるのが人間なのか。

 

いや、よくみると数名だが逆らっている者もいた。

 

体育会系の風貌をした男二人組と、いかにも享楽を追求してそうなギャル風味の女である。

 

彼らは我が道をいっており、男は小言で会話、女は炭酸飲料を周りにかまうことなくごくごく飲んでいた。

 

ジャンル分けすると、体育会系もギャル風味も、決して、日本人の中でマジョリティーではない。

 

マイノリティーである。

 

人間社会では、数の原理が強く働くだけに、マイノリティーはどこか悪いニュアンスを伴って語られることが多い。

 

だが、今回私はマイノリティーの強さを見た気がした。

 

マイノリティーはそれぞれ各自で価値観を持っていて、枠に捉われることがないのだ。

 

だから面接会場で、彼らは誰よりも自由闊達にのびのびしていたのである。

 

 

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フリー素材 photo-ac様より拝借

 

出来事2つ目は、大手会社の会社説明会に参加したことだ。

 

ただ、これがちょっと変わった説明会で、なんとweb上で実施されたのである。

 

web上で向こうが勝手に会社の話をしてくれるわけだから、こっちは家でボーッと見ていればいい。

 

いちいち挨拶だの座り方だの小言を言われなくてもいいのだから、便利な時代になったものだ。

 

この説明会、会社の新卒採用担当者が一方的に語りかけてくるのだが、それに対して参加者にはチャット欄が用意されている。

 

このチャット欄がおかしかった。

 

先のバイトの面接とは打って変わって、なんと参加者側の方が態度がでかいのである。

 

媚びを売っている者もいないことはなかったが。

 

だが、大多数は言いたいことを一方的にチャットに流し、相手の都合などおかまい無しであった。

 

立場というものは複雑である。

 

ほんのすこしの差なのに、全く大きく対応が変わるのだ。

 

以前、猿山の猿は猿同士の関係性に気を配るという話を聞いたが、人間だって同じじゃないか。

 

と思った。

 

会社説明会は可もなく不可もなく淡々と進行されていた。

 

新卒採用担当者の話をよくよく聞いていると、彼らは元体育会系であることがわかった。

 

なんだ、体育会系だって枠にはまってるんじゃないか

 

マイノリティーはマイノリティーで、どこかのマジョリティーなのである。

 

高尚な理念を掲げる大手会社のホームページをみて、どこか乾いた虚しさを感じた。