俺はなぜPCを持って行ったのか?
恐怖心はボクシングを学ぶうえで最大の障害だ。しかし、恐怖心は一番の友達でもある。恐怖心は火のようなものだ。管理する方法を学べば、自分のために利用することができる
引用:「真相」より(トレーナー、カスダマトの発言)
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十一月十二日 昼。
時計の針がちょうど真上で重なる頃に目を覚ます。
起きて早々、市役所にいく用事を思い出した。
一時間ぐらいかけてゆっくりと支度をし、最後に持ち物と住所を確認して家を出た。
この時、市役所によるついでにカフェでも寄ってpcで作業しようかと思っていた。
寄りたい気持ちは半々だった。もし寄らない場合でも、公園かどこかで作業をするつもりだった。
それと同時に、帰りにはお店で肉を買って帰ろうとも考えていた。晩飯用だ。肉は早めに冷蔵庫に入れておきたかったので、作業をするなら肉を買う前だなと思った。
とりあえずpcは持って行った。
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市役所の用事が済んだ。
さてこれからどうするか考えた時、カフェに行きたい気持ちはもうなかった。
肉屋は途中の駅にあって、公園は最寄り駅にあったので、足は自然と肉屋へ向かった。
肉を買ってバッグに詰める際、pcが邪魔になった。
俺のpcは型が古くてちょっと重く、おまけに13インチなので場所を取って非常に困った。
なぜ俺はpcを持ってきたのか?強く疑問に思った。
今回のミスを教訓にせねば、俺はまた同じ過ちを犯してしまうだろう。
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ここで今回、なぜpcを持って行ったのかを整理したいと思う。
まず、今朝(といっても昼だが)の段階で行う可能性のあったものは以下の通りだ。
・市役所へ行く
・カフェへ寄る (市役所から近い位置にある)
・公園へ寄る(最寄り駅にある)
・肉屋へ寄る(市役所と最寄りの間の駅にある)
実行順序としては、市役所へ行くのが一番先なのは間違いなかった。
そのため、問題はカフェ・公園・肉屋の性質と位置関係だ。
カフェに寄った場合、公園に寄る必要はなく、肉屋に寄った場合、公園には寄れない。
となると、次のパターンが予想される。
→ 1. カフェに寄る
→ 2. カフェに寄らない
→ 1. 1. 肉屋に寄る(パターン1)
→ 1.2. 肉屋に寄らない(パターン2)
→ 2.1. 肉屋に寄る(パターン3)
→ 2.2. 肉屋に寄らず、公園に寄る(パターン4)
4パターンのうちpcを必要とするのが1, 2, 4だ。
パターン3だけカフェに寄らず肉屋に寄るのでpcを必要としない。
ということは、今朝の段階では3/4の確率でpcは必要だったことがわかる。
逆にいうと、1/4の確率でpcは必要なかった。
3/4も必要なのだから、pcを持っていったのは一見合理的なように思える。だが本当にそうだろうか。
ここで注目したいのは、今朝の段階での行きたい気持ちの度合いだ。カフェは半々だったのでさほど強くないと言える。肉屋は晩飯用だったので必要不可欠だろう。
ということは、カフェに寄る可能性は未知だけれども、肉屋へ寄る可能性は極めて高いことが分かる。
ほぼほぼ肉屋へ寄るのだから、必然的に公園に寄る確率はほとんどないと予想できる。
つまり、pcを持っていくかどうかは、カフェに寄るかどうか、この一点のみに関係していたと言える。
行きたい気持ちは半々だった。確率は半々。なぜ持っていく方に傾いたのか?
おそらくそれは保険の気持ちがあったからだ。
持って行った場合は、使うも使わないも自由だ。だが、持って行かなかった場合は使う選択肢はなくなる。
未知数のものに対して保険をかけておいた。そして今回、保険代(重くて場所を取る)だけ払わされたということか。
保険代は高かった。肉屋からの帰り道バッグが重くて肩が凝った。
何だろう、俺のモヤモヤは保険の構造にある気がしてきた。
確かに保険は入っておくと大打撃を受けるとなった時に役に立つ。生命保険がいい例だろう。
だが、保険は何事もなかった場合、必ず小さくはない打撃(中ぐらいか?)を受けることになる。それは月々の高い費用だったり、時間のロスだったり。これらのコストは見過ごせるほど小さくないだろう。
となるとつまり、
「保険とは、大打撃を中打撃で抑えるもの」
と言えるのではないだろうか。この情報だけなら保険に入っておいたほうがいいように思える。事実、起こるリスクの高さと起こりうる可能性を考慮したならば、一つだけなら入っていてもいいと思う。
だが多くの場合問題になるのはここからだ。保険は一つだけではない。人は不安を感じる生き物なので様々なことに保険をかける。
一つだけならいいものの、保険を複数かけることによって、「必ず中打撃を受ける」という選択肢を何回もしてしまっているのだ。
中打撃を複数受けるとどうなるか?大打撃に等しい打撃になるだろう。
つまりこう言える。
「保険に複数入ることは、本来保険で避けるはずだった大打撃を、必ず1つは受けなければならない」
最悪の場合に比べれば、複数の大打撃を受けるよりも1つで済むのならマシだという考えもあるだろう。
だが、複数の大打撃を受ける可能性が果たしてどれくらいあるのか?
今回私はpcを持っていく必要性が3/4あったので保険をかけて中打撃を受けた。だが中打撃を受ける必要はあったのか。いや、ない。これはそもそも起こりうる可能性に重み付けをしていなかったからだ。カフェも肉屋も同様に1/2の確率で行くか行かないかで考えていた。だが、冷静になってみればカフェは未知数だったし、肉屋はほぼ100%いくと予想できた。となると大打撃を受ける可能性だってそう高くはないし、それは打撃を何も受けない状態と同じぐらいの確率だと言える。
それなのに持っていった。なぜか。不安を感じて保険をかけたからだ。
保険で不安が解消されるなら、なんて発想がそもそもの間違いの始まりだ。
不安を消したら起こるリスクの高さを緩和できる。確かにそうだ。だがそれは1回こっきりの魔法だ。何度も便利な魔法に頼ろうとすれば、副作用は当然あって、2回目以降は数を増すごとに大打撃を受けることになる。しかも必ずだ。
不安のせいで保険に入り、必要以上のリスクを背負う。これを回避するには、不安がなぜ起こるのかを突き止めなければならない。そうするには自分と向き合う必要がある。自分を知ることが不安への一番の対処法だ。そして、自分を知るには絶対に自分に嘘をついてはいけない。「自分に嘘をつかない」はここにも繋がってきた。ああ、だから俺はpcを持っていくかどうかで引っかかったのだろうか。
不安ってのは備えをさせてくれたり、エネルギーを引き出したりしてくれるいい面もあるけれど、同時にえらく危険なものでもあるんだな。
冒頭で紹介したカスダマト(マイクタイソン を育てた名トレーナー)の発言の意味が少しわかった気がする。不安と友達になって、うまく付き合えるようになりたいと今では思う。
時期が来るまで嫌ほど不安を感じて必死に備えて、チャンスがくれば堂々とする。
頑張ります。