運動不足で苦しむ動物
今週のお題「運動不足」
なーにが運動不足じゃい。
そもそも動物は「動く生き物」と書いて動物と読むんだ。
俺たちは動物だから動くんじゃない、動くから動物なんだ。
呼吸と同じで言われなくても勝手にやってんだよ。
だからね、運動不足なんてチャンチャラおかしいって話。
え?
じゃあなんで社会問題になってるかだって?
...。
ちょっと待ってよ、今考えてるから。
*
【人類はなぜ運動不足に陥ったのか?】
20世紀初頭、
フォード・モーター社のT型フォード開発において
ライン生産を採用したことから悲劇は始まる。
当時、T型フォードは爆発的な人気があった。
というのも、ライン生産によりコストを格段に下げることに成功し、
一般市民が安価で車を入手できるようになったからだ。
これを見た多くの工場経営者はすぐさまライン生産方式を取り入れる。
ライン生産の本質は分業化である。
その後、分業化が社会全体のデファクトスタンダードとなるのに時間はそうかからなかった。
やがて時は経ち、
人類は通信技術を獲得した。
これにより、いわゆるホワイトカラーと呼ばれる職業に需要が生まれた。
ホワイトカラーとは、一日中机に張り付いて仕事をさせられる新しい形の拷問である。
高給取り、頭脳労働、このような品の良いレッテルが貼られることで、人々は嬉々としてホワイトカラーに飛びついた。
さらに時は経ち、
社会の大半はホワイトカラーとなった。
彼らは長時間座って過ごしているので、当たり前だが運動をする機会がない。
かくして現代、動物が「運動不足」に陥るという奇妙な現象が観測されるようになった。
*
今回の記事は「なぜ動物が運動不足になるんだ?」という疑問から始まった。
結果として、
社会システムに一部拷問が組み込まれているから(そして自らそれを受け入れる)という結論になったわけだが、
これは「人間がいかに環境に左右されるか」ということに繋がる。
運動不足によって不調を訴える人がいることから、
人間の環境適応能力が現代の社会環境に追いついていないことは自明だ。
にも関わらず、環境に甘んじるのは身を滅ぼすことになりかねない。
そのため、我々は「自身の性質を理解して、自ら環境を選ぶ」必要があるだろう。
もはや、社会システムは人間のコントロール下にはなく、
政府の方針に従っているだけでは心許ない。
個々人がそれぞれ考えて行動する時代がきている。
あ、
ちなみにT型フォードらへんの話は適当です。
大体あそこらへんで分業化になったんじゃないかな〜という勝手な推測なので鵜呑みにしないように。
分業化の起源ってなんなんでしょうね?