自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

総持寺に行った

 

昨日、総持寺に行ってきた。

 

 

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この記事を書いたあと、昼間に行った。

 

鶴見駅前は平日にも関わらず、ぼちぼちの賑わいだった。

 

行き交う住民のタイプは下町タイプが多かった。

 

ただ、やはり総持寺があるだけあって、中には精神が鋭く研ぎ澄まされた、いや、心に波の立っていないと表現した方がいいか、とにかく凛とした人も僅かだがいた。

 

さてお目当の総持寺であるが、まず思ったことは風通しがよかった。

 

お寺にありがちなジメジメ感が全くない。

 

爽やかな風が吹き、純粋に場所としていいところだと思った。

 

建立した人はなるほど土地の目利きができそうだ。

 

次に感じたことは、匂いだ。

 

線香の匂いがほのかに香る。

 

私はこの匂いが好きだ。やはりこれも居心地をした。

 

その次に見るものはそこにいる人たちだが、これは期待を超えることはなかった。

 

敷地内でピクニックをしていた子連れ主婦たちがいたのだが、まあ、例によって雰囲気がいいとは言えなかった。

 

他にも、若い寺の坊主たちが敷地内を歩いていたのだが、一人だけ仲間はずれのようにされている坊主がいた。

 

そんなことはないかのように、多数派の坊主は乾いた笑い声をあげていた。

 

まあ、人は普通だった。

 

 

*

 

次は二十一日に一般向けの坐禅が催されるらしい。

 

行ってみよう。

 

昨日見たものはもしかしたら、自分が卑屈になっていただけの可能性もある。

 

子連れの主婦たちも、坊主たちも、実はそうでなかったのかもしれない。

 

よくよく眠っていなかったので、休養不足で卑屈な状態になり、全てを悪く捉えるようになっていたのかもしれない。

 

次は、次二十一日に坐禅をした時に改めて見てみよう。

 

その時までに睡眠サイクルを改善しなきゃな。