法と倫理について / 25. 見方
法と倫理について
日本は法治国家である。
そこで素直な疑問が湧いてくる。
「法さえ守れば、何をしてもいいのだろうか?」
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法の成り立ちを考えれば話は早い。
人はそれぞれ善悪の価値観を持っている。(これを倫理観と呼ぶ)
個人が自分の倫理観で動けば、集団内で争いが起きる。
倫理観と倫理観はぶつかることがあるからだ。(ex: 肉食はOK vs 肉食はダメ)
だから、集団が円滑に回るようなルールが必要になる。
うまく調整して集団を回す役目。
これが法だ。
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ここで注目して欲しいのは、善悪と法は無関係だということ。
善悪(つまり倫理)はあくまで、個々人の中にしかない。
そのため、他人に自分の倫理を強要することは自己中な考え方と言える。
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だが気をつけて欲しいことがある。
これで「じゃあ何をしてもいいんだ」と思ってもうまくいかない。
なぜなら、人間は結局「感情で動くこともある」からだ。
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つまり、社会でうまく生きたいのなら、社会はダブルスタンダードだということに気づく必要がある。
法を守ることは大前提。法治国家だから。
その上で、「自分の利益が最大化する」ように、どの倫理観を尊重するかを選ぶ必要がある。
好むと好まずとに関わらず、必ず誰かの倫理観は踏みつけることになるのだから。
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まとめると、
法を守った上で、自分の利益が最大化するような行動を選択しろ。
ただし社会は法と倫理のダブルスタンダードなので、他人の反感を買って損失を買うことがあっても、それは自己責任だと十分理解しておくこと。
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自分は今まで、「こうあるべきだ」という自分の中の強い倫理観と、そうではない現実社会の差にとても苦しんでいました。
けれども、この社会のダブルスタンダードに気づいてからは、気持ちがスッと楽になりました。
自分の経験から、「こうあるべきだ」なんて他人に要求することは、他人はおろか自分さえ幸せにしない考え方だと思っています。
自分を律する分には自由ですけどね。
この先、古き日本の常識が次々と壊れていき、この考え方は時代に要求される考え方になってくると思います。
法をベースにした上で、個々人が、それぞれ自分の中で軸を持つ時代がきます。
というより、持たないと苦しくなるよってこと。
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25. 見方
今日の1日1枚は「見方」
これはデスクトップの一部。
一見つまらない写真だ。
見方を変えてみよう。
これを面白く捉えてみよう。
そういう気持ちで撮った。