自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

法と倫理について / 25. 見方

 

法と倫理について

 

日本は法治国家である。

 

そこで素直な疑問が湧いてくる。

 

「法さえ守れば、何をしてもいいのだろうか?」

 

 

*

 

 

法の成り立ちを考えれば話は早い。

 

人はそれぞれ善悪の価値観を持っている。(これを倫理観と呼ぶ)

 

個人が自分の倫理観で動けば、集団内で争いが起きる。

 

倫理観と倫理観はぶつかることがあるからだ。(ex: 肉食はOK vs 肉食はダメ)

 

だから、集団が円滑に回るようなルールが必要になる。

 

うまく調整して集団を回す役目。

 

これが法だ。

 

 

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ここで注目して欲しいのは、善悪と法は無関係だということ。

 

善悪(つまり倫理)はあくまで、個々人の中にしかない。

 

そのため、他人に自分の倫理を強要することは自己中な考え方と言える。

 

 

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だが気をつけて欲しいことがある。

 

これで「じゃあ何をしてもいいんだ」と思ってもうまくいかない。

 

なぜなら、人間は結局「感情で動くこともある」からだ。

 

 

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つまり、社会でうまく生きたいのなら、社会はダブルスタンダードだということに気づく必要がある。

 

法を守ることは大前提。法治国家だから。

 

その上で、「自分の利益が最大化する」ように、どの倫理観を尊重するかを選ぶ必要がある。

 

好むと好まずとに関わらず、必ず誰かの倫理観は踏みつけることになるのだから。

 

 

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まとめると、

 

法を守った上で、自分の利益が最大化するような行動を選択しろ。

ただし社会は法と倫理のダブルスタンダードなので、他人の反感を買って損失を買うことがあっても、それは自己責任だと十分理解しておくこと。

 

 

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自分は今まで、「こうあるべきだ」という自分の中の強い倫理観と、そうではない現実社会の差にとても苦しんでいました。

 

けれども、この社会のダブルスタンダードに気づいてからは、気持ちがスッと楽になりました。

 

自分の経験から、「こうあるべきだ」なんて他人に要求することは、他人はおろか自分さえ幸せにしない考え方だと思っています。

 

自分を律する分には自由ですけどね。

 

この先、古き日本の常識が次々と壊れていき、この考え方は時代に要求される考え方になってくると思います。

 

法をベースにした上で、個々人が、それぞれ自分の中で軸を持つ時代がきます。

 

というより、持たないと苦しくなるよってこと。

 

 

 

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25. 見方

 

今日の1日1枚は「見方」

 

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これはデスクトップの一部。

 

一見つまらない写真だ。

 

見方を変えてみよう。

 

これを面白く捉えてみよう。

 

そういう気持ちで撮った。