自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

自分の欠点を指摘された時、あなたはどうしますか?

 

 

お題「今日の出来事」

 

 

面と向かって「あなたのここが悪い」と言われた経験はありますか?

 

そんな機会なかなかないですよね。

 

でも先日、就活生の特権を使って言ってもらえました。

 

相手は就職先を紹介してくれるアドバイザーの方。

 

こちらに配慮してくれて、オブラートな表現でしたが、実際に言われてみると結構動揺しますね。

 

「えっ、いや、あ、」みたいになってしまいました。

 

具体的に何を言われたかって?

 

まずは「淡々としすぎている」と言われました。

 

ちょっと抽象的で分かりづらいですよね。

 

だから突っ込んで聞きました。

 

「後学のためにお伺いしたいのですが、"淡々"とは具体的にどのような意味合いで、どのあたりからそう思われたのでしょうか?」

 

さあ、どうくるか。

 

重々しげに、

 

しかし強い意志を持ってアドバイザーは口を開きます。

 

「そうですね。お礼や謝罪が全くなくて、相手に対する配慮がないというか。アドバイザーはそれが仕事なんだからしてくれて当たり前だろという雰囲気が伝わってきます。」(前回会った時に少し遅れ、それをうやむやにしていた)

 

私「えっ、いや、あ、」

 

「そうですね。もっと端的にいうと謙虚さというか、うん、それがないですね。就活にしたって会社の方も時間を割いて面接を云々・・・」

 

片腕をもがれた気分でした。

 

その後も色々喋ってくれましたが、あまり覚えていません。

 

アドバイザーの方がおっしゃる通り、私はすこぶる態度の悪いユーザーでした。

 

質問の仕方も「後学のためにお伺いしたいのですがー」というのはかなり脚色が入っています。

 

実際は「あ〜〜〜、え〜〜と〜〜〜〜〜っっ、う〜〜〜〜〜〜〜んん。あの〜〜〜、んで〜〜、それって具体的にいうとぉ、つまりどういうことなんすかぇ〜〜〜〜???」このぐらいバカ丸出しだったと思います。

 

さらにいうと今回は電話相談で、バレないだろうと最初の方はパンを食べながら話をしていました。

 

こうしてどこかで自覚しながらも目を逸らし続けていた自分の欠点と、

 

私は真正面から向き合わなければいけなくなりました。

 

 

*

 

 

「自分の欠点に気が付いたとき、あなたはどう対応するか?」

 

TEDに出てきそうなぐらい意識の高い質問である。

 

だがこれは、実現することのない理想の社会の話でもなく、我々と全く無関係のアフリカの子供達の話でもない。

 

この文章を書いているこの "私" 自身が "今” 直面している問題なのです。

 

さて、どうするか。

 

おそらく考えられるのはふた通りの選択だろう。

 

1. 我を通す(=何もしない)

 

2. 素直に他人の意見に従ってみる

 

どちらを選ぶかは、私が大事にしている「自分に嘘をつかない」考え方を試されているに等しい。

 

一見すると、自分に嘘をつかないのだから自分のやりたいようにする、つまり「1」を選択した方がいいように思える。

 

だが、それは本当にそうだろうか?

 

自分は自分に嘘をつく。これが前提にあるとすると、自分に嘘をつかないというのを言い訳にして、本当は楽がしたいだけという可能性は大いにある。

 

自分に嘘をつかないというのは、享楽的に生きるという意味ではない。

 

最後の死ぬ間際で後悔しないような、そんな人生を「嘘がない」と呼んでいるのだ。

 

だったら、私はアドバイザーの方が教えてくれた欠点(貴重な情報)を無視していいわけがない。

 

波風立つのを悪とするこの日本社会で、欠点を知れたことは大きなチャンスだ。

 

ここが人生の分岐点だと信じて、「淡々と」もとい「謙虚さのない」自分の欠点を変えてみようじゃないか。

 

決めた。私は愛嬌のある人間になる。

 

自分の性格に合わないぐらいの無理は続かないので、少しずつ謙虚で可愛がられる人間に変わっていこう。

 

というわけでここで宣言。

 

「俺は可愛がられる人間になる!」

 

まず一歩目はそうだな、明日面接があるからそこで普段よりちょっとだけ愛想よくしてみよう。

 

 

 

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今日の論文

 

さて、論文を見ていこう。

 

今日の論文はブログを書いている私に関係の深いテーマだ。

 

タイトルは"The unsuccessful self-treatment of a case of ‘writer’s block"

 

和訳すれば、「書くことができない症例の、自己治療の失敗」だ。

 

つまり、書くことができない人がいて、その人は自己治療しようとしたが失敗に終わった、そのこと自体を論文にしたというわけだ。

 

では見ていこう。

 

 

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タイトル: The unsuccessful self-treatment of a case of ‘writer’s block

著者: Dennis Upper

URL: https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1311997/pdf/jaba00061-0143a.pdf

本文: なし

 

 

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というわけで今日の論文は終わりだ。

 

え、なんだって?何も書いてない?

 

そうです。今日の論文は本文0文字です。(証拠画像 ↓ )

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論文の画像

 

この論文の著者は書くことができない症例の治療に失敗したので、その証拠として、0文字の論文という理屈らしいです。

 

確かに、書くことができないのだから論文も書けない。治療は失敗に終わったということが分かる。

 

これで「論文を出そう!」と思うところが常人離れしていますね。

 

それではまた明日。