新・エネルギー 〜他力〜
ーー 我一人、奮起して蜜追い求めるも、欲満たされず。
これは俺がついさっき考えた名言だが、
「一人で何かをしようとしても到達できない地点がある」ということが書かれている。
俺は自分から湧き出る「エネルギー」の存在を感じ取れる。
エネルギーってものは大体が、悔しい思い・やるせなさ・どうしようもなさ・時には憎悪・忿怒、これらのネガティブな感情が源になっている。
特に幼少期に衝撃的なイベントに出くわしたりしたら、それは必ずエネルギーになる。
ここで注意してもらいたいのはエネルギーは有限であるということだ。
石油をイメージしてもらえれば早い。
生物が死んで骨になって石油になって・・・量は限られているだろう?
エネルギーも同じで、いつまでも持つわけではない。
というか、意外と持ちが悪い。
だから扱う際には細心の注意を払う必要がある。
まず大事なのは、何に対してエネルギーを使うか。
これは自戒であるのだが、目標に対してそのままエネルギーをぶつけるだけでは物事はうまくいかない。
つまり、がむしゃらに自分一人で行動することだ。
このストレートさは清々しさがあっていいものではあるが、
うまくやるにはちょっと捻りを加える必要がある。
これは人類の定めのようなもので、
ホモ・サピエンスが生き残った最大の要因に、武器を使うという捻りが挙げられる。
これがストレートな生物だったら己の肉体を強化することにエネルギーを使うことだろう。
これに習えば、エネルギーというのはちょっと回り道をさせてやればうまくいくことが分かる。
では回り道とは?
それが他力である。
他人のエネルギーを使うために、自分のエネルギーを使う。
自分一人では、どうしようもないことはあるんだ。
*
私はボクシングが好きだ。
ボクシングは個人の精神が強く問われるスポーツだと思っている。
もちろん、トレーナーの存在も大事だ。
だが、ボクシングは他の何よりも「個」の力が問われると思っている。
なぜ好きなのか、ようやく今日分かった気がする。
俺はボクシングのそのストレートさに惹かれていた。
心のどこかで、ストレートだけじゃうまくいかないと分かっている自分がいて、
一方で、ストレートに挑戦し続けたい、その可能性に懸けたいと思う自分もいて、
だから惹かれたんじゃないかなと。
でも、俺はもうストレートにはいかないよ。
もちろん変えない部分はあるけれど、目標を乗り越えるために
テクニックを使うよ。
子供であり、大人であり。
うまくやっていくよ。