自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

値札をつけられる人々

 

値札をつけられる人々

 


お金で買えないものはない。

 


物や人間はおろか、愛や希望でさえも。

 


 


これは以前、私が誰の口からか聞いた言葉である

 


相手は冗談っぽく言っていたが、目の奥をみると真っ赤な嘘というわけでもなさそうだった

 


確かに、物や人にはほぼ値段がつけられている

 


お金をだせば欲しい物は何でも買えるし、人だっていたるところで売買されている

 


男ならいくら、女ならいくら、年齢や特技、容姿の違いさえ相場はできてきている

 


愛はどうか

 


愛人はお金で買えるだろう

 


そこに愛があるかと言われれば疑問だが、

 


そもそも愛自体が何かにもよるところはある

 


では、希望はどうか

 


これも難しいところではあるが、

 


少なくとも現代社会においてお金を持たない者は持つ者よりも将来の選択肢が少ないとは言える

 


教育にはお金がかかるし、趣味をやるのだってお金はかかるのだから。

 


選択肢が狭ければ、希望を抱く可能性も減ることは容易に想像できる

 


なるほど、希望を買えるとは言い切れないが、それに近いことは確かに言える

 


 


資本主義は大きく成長しすぎた。

 


今や何にでも値段をつけるようになり、

 


その考えは資本家だけでなく、一般の人々にまで及んでいる

 


「あの人は人脈を持っている:

 


「あの人は◯◯のスキルがある」

 


利用できる人間かどうかで人を判断することは日常に見られる。

 


もはや現代人は、人を値踏みすることに躊躇ない

 


この傾向が先鋭化した未来、

 


もしかしたら人生すら値踏みする時代がくるかもしれない

 


いや、本当にそうか?

 


私は、人間は値札をつけられることに反発することを期待する

 


近い将来、どこかの段階で、

 


行きすぎた資本主義に反旗を翻すことを、ここに予言しておく。