自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

笑い

 

ーー笑いの中に、地獄と天国が隠れているーー

 

朧げだが、こんな名言を聞いた記憶がある。

 

当時はよく分からなかった。

 

今、分かった気がした。

 

 

*

 

俺は人と接するのが好きでない。

 

外に出るのは好きだが、人の多いところはストレスになる。

 

ご飯は一人で食べる。

 

誰かと食べるご飯が美味しいだなんて誰が決めた?

 

家でゆっくり、一人で味わいながら食べるのが最高だ。

 

 

*

 

 

いつから人が嫌いになった?

 

トリガーはなかった。

 

ゆっくり、じわじわと植えつけられた気がする。

 

小学生。

 

人は嫌いではなかった。好きな人がいた。家が大好きだった。卒業間際、友達に不信感を覚える。あれ、こいつ。

 

中学生。

 

周りは恋愛ブーム。恋愛のためなら何でも犠牲にできる。そんな風潮が大嫌いだった。

人を人として見なくなった人が嫌いになった。人と接するのが苦手になった。集団が嫌いになった。家が好きだった。

 

高校生。

 

少し気持ち悪さが晴れてきた。だが恋愛ブームは一部で続行中。そこは吐き気がする。人を大切にするよう努力する。友達を作る。少しずつ意識が外に向く。少し楽になった。が、違う重荷を背負う。重荷?

 

大学生。

 

対人関係で悩むことはなくなった。切ることができる。環境を変えることができる。他人に期待しない。意識の内と外のバランスが落ち着いてきた。多分、もう子供ではない。純粋さは保とうと努力している。重荷?どこに置いたっけ?まだ持ってるだろうか?

 

 

*

 

 

始まりは小学校の高学年からか。

 

そういえば、あの頃から人の嫌らしさを感じるようになったかもしれない。

 

中学生ではもう毎日。

 

好きで選んだ美術の時間が苦痛でしょうがなかったな。

 

自分の欲望のために人が他人を蹴落としたり裏切ったり、そういうの嫌だったな。

 

かっこつけとか、アピールとか、なんとなくとか、そんなことのためだけに。

 

あれ、そういえば自分は?

 

俺は嫌らしさを出していただろうか。

 

よくよく考えればあれは嫌らしさだったかもしれない。小学生の時、友達から遊戯王カードをほぼ強制的に奪ったな。賭けデュエルって言って。俺は仕込んでいて。

 

そういえばまだあった。小学生の時、嫌らしさを感じた友達とつるんで、関係ない子のズボンを面白半分で脱がしてたな。処刑って言いながら。三人で一人のズボンを脱がしてた。二人が抑えて一人が脱がした。そういえば、あいつは本気で嫌がってたな。

それでも俺は面白半分で、あいつとはまだ友達だと思ってた。ああ、あいつはそう思ってなかっただろうな。

 

中学生では始めて不良と出会ったな。三年生とか怖くて。もう処刑とかカード奪うとかしてなかったな。あれは俺の性格がよくなったのではなくて、ただ萎縮していただけだ。今思えば、俺も同じじゃないか。カッコつけ、アピール、なんとなく、みんな自分の立場を自覚して自分の欲望に従っていただけか。

 

俺もそうだ。俺も自分がカードが欲しかったから、なんとなく面白いことがしたかったから、そういう理由で立場の強かった小学生の頃、色々やってたじゃないか。

 

中学校のあいつらも同じだ。自分の立場が強いと自覚してたから、欲望があったから、きっと俺と同じで無自覚に色々やってたんだ。

 

 

*

 

 

俺は他人の笑い声が好きじゃない。

 

楽しそうにしている場面が好きでない。

 

みんな嘘に見える。

 

楽しいふりをしているだけで、本当に楽しいから笑っているのではなくて、それは周りへのアピールに思ってしまう。

 

本当に楽しんで笑っている声は好きだ。そういう人も好きだ。

 

ただ、世の中の笑いの九十九.九九パーセント以上は嘘に見える。

 

自分が笑うのは好きだ。

 

 

*

 

俺は外に出るのが億劫だ。

 

外は好きだが、その過程で人と会うからだ。

 

なぜ人と会いたくないのか。

 

すれ違いざまにこっちの顔をみて笑う奴が大嫌いだからだ。

 

結構な頻度でいる。

 

俺の勘違い?

 

さあな。

 

今朝もあった。社会人。甘ったれみたいな顔つきの奴。

 

ものすごく不快な気持ちになった。

 

あの笑いこそ地獄だと思った。

 

あれがあるせいで、俺は人と付き合うのが嫌でしょうがない。

 

本当に楽しんだり喜んだりして笑う時、あれのおかげで社会にいようと思える。

 

笑いの責任は重い。