自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

現代の飢餓 リリィ・シュシュのすべて

 

リリィ・シュシュのすべてという映画を観た。

 

色々と考えてしまう。

 

ということは、いい映画なんだと思う。

 

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いい映画を観たあとは、ぼーっとするというか、頭の中で色々なことが書き足されている?書き換えられている?

 

とにかく頭が混乱する。

 

青猫とフィリアとカエル、は分かった。

 

ドビュッシーが好きな彼女はあの掲示板にいたのだろうか?

 

書くことで整理していきたい。

 

【 目次】

 

 

 

前提

この作品は色々なことが絡まり合いすぎていて、紐解くのがとても難しい。

だから、今日は結びを一つ解くだけ、一部分だけ考える。

今回はカエルについて。

 

カエルについて

カエルはなぜ死んだのか?

 

色々考えた。トリガーになったのは間違いなく久野さん(ドビュッシー好きな人)だ。

久野さんは強姦された。久野さんは坊主にして学校に登校した。虎狩りだった。ということは他人に刈ってもらったのではない。自分で刈った。

 

髪は女性のシンボルだと思う。カエルは喫茶店(洋食屋?)でフィリアと話しているとき「モヒカンにしようかな。そしたらこの仕事しなくて済むよね」と言った。

 

だがカエルは髪を切れなかった。カエルは星野に売春をやらされていた。久野さんも星野に強姦された(間接的だが、あの強姦は星野の意図)。

 

両者とも売春と強姦という、女性の尊厳を踏みにじられる経験をした。男性によって。一方は髪を切ることでその屈辱を切り離した。はっきりと拒否したとも言える。一人の力で。一方は髪を切れなかった。拒否し切れなかった。男性によって踏みにじられたものを、男性(フィリア)によって助けてもらおうとした。許容してしまった。自分が嫌になる。飛べないと思った境界線を飛ぶ人を見てしまった。自分が嫌になった。

 

*

 

カエルはなぜ青猫に狙われたのか?

 

青猫が弱みを入手できたからというのは当然あると思う。だが青猫は強姦を指示できるほど落ちている人物。狙おうと思えば誰でも狙える。誰の弱みでも作れる。ということは、カエルが狙われたのは偶然ではなく必然ではないか。

 

カエルの家は裕福だと思う。フィリアが家まで送った描写では家に庭園があった。きちんと管理されていた。職人を雇っている。カエルの部屋にも高価そうなものがたくさんあった。少なくとも貧乏人の部屋ではない。売春で金を得たからという解釈もあるかもしれない。でもカエルがあのお金で物を買うだろうか。分け前分のお金を踏みにじるシーンから、そうは思えない。喫茶店(洋食屋?)のは盗んだお金だから平気だった。体で稼いだお金とそれ以外では、カエルの中で別れているのだと思う。だから私はカエルは普段から金銭だけは十分に与えられていると思う。

 

それと薄々気づいていると思うが、カエルの両親はカエルに関心がない。きっとこの家は家庭崩壊している。普通、泥だらけになった体を庭で洗うだろうか。そんなことをすれば家の者が異変に気づくはず。私なら誰にも気づかれないように細心の注意を払う。でもカエルは躊躇うことがなかった。もしかしたらカエルは家族を繋ぎ止めておくために、両親の前ではいい子を演じていたのかもしれない。格好も神崎(女ボス)のように露骨にグレてない。いい子を演じるために家に入る前に綺麗にしたかったのだろうか(綺麗にする→いい子を装う)。それとも、あえて気づく場所に異変を残すことでカエルは両親にSOSを送っていたのだろうか。カエルは他力に頼るところがあるので、今あるすべての災厄の解決を両親に期待してしまったのかもしれない。

 

ここまで書いてわかったと思うが、かつての青猫の家庭環境とカエルの家庭環境は酷似している。青猫は自分の好きなもの・似ているものを壊す傾向がある。青猫もかつては裕福な家庭だった。青猫はカエルの家庭が崩壊しているとは知らなかったのだろう。カエルにかつての自分の状況をみて、壊したくなった。カエルと青猫が同じクラスの人間でなく、他クラスの人間だったことも気になる。狙うなら近いところの方がやりやすいからだ。これらのことからカエルが狙われたのは偶然ではなく必然だと思う。

 

最後に

本当は青猫とフィリアについても書こうと思っていた。

でも書き始めると思った以上にカエルにはまってしまった。

もっと多くのことが絡み合って、もっともっと色々な観点があると思う。それら全てを考えようとしているうちにエネルギーが切れてきた。

リリィ・シュシュのすベては岩井監督の傑作だと言われているようだが、誰が言ったのかは知らないが、確かになんというかすごい作品だと思った。

実は岩井監督の打ち上げ、花火下から見るか?横から見るか?が面白かったのでこれも観ようと思ったのだが、考えさせられるという点ではこっちの方が断然パワーがあると思った。

でも、なんというか両作品に共通することなんだけど、いつも中心には女の子がいると思う。

打ち上げ花火ならなずなだし、リリィ・シュシュなら久野さん。

中心にはいつも女の子が立っていて、男はその周りで色々もがいてるんじゃないかなと。だって、青猫も久野さんのこと好きだったよね。駅の描写もそうだし、壊そうとしたのも、でも青猫は根本が弱虫だから、振り切ろうとしてもやっぱり中途半端なんだよ。その点久野さんは強かった。だからやっぱり、女の子が輪の中心に堂々と立っていて、その周りを男たちがうろうろしてるっていう感じなんだと思う。

だめだ、やっぱりまだうまくまとめ切れない。というわけで、今回はここら辺で逃げます。