わかりやすい毒
一見して誰もが危険だと思うものは、逆にありがたいのかもしれない。
以前優秀な毒について書いた。
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今日は反対の優秀でない毒、即ち、わかりやすい毒について書こうと思う。
優秀な毒は注意深く意識しないと認識できない。
わかりやすい毒は意識せずとも認識できる。
人間で例えてみると、優秀な毒はユダである。
事件が起こるまでユダが毒であるとは誰も気づかない。
反対に、わかりやすい毒は反社会勢力風の人たちだ。
関わると危険だということが一見してわかる。
昨日書いた精神病の女性もわかりやすい毒に当てはまる。
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常に何か怒りに満ちた様子で叫んでいるので、近くにいるだけで滅入ってしまう。
ではなぜ彼女らがありがたいのか。
それは一言で言うと、気づきを与えてくれるからだ。
もっと詳しく話そう。
私たちの多くは普段意識的に行動しているわけではない。
ほとんどが習慣に従って、あるいは周りに流されて生きている。
流されるということは、その人の人生のあり方は個人ではなく団体として決定されるということである。
つまり一人一人では生きておらず、集団で一つの生命体として生きているということだ。
もちろん受動的な個人が全体のコントロールをすることは不可能。
いい方向に向かうか悪い方向に向かうかは運の運次第だ。
とはいえ、ここまでは私自身もそこまで悪いことではないと思っている。
なぜならこの生き方は人間である限り、人間社会で生きる限り、多かれ少なかれ誰もがそうせざるを得ないからだ。
問題なのはここから。
集団で生きる割合が強いと、もし集団が悪い方向へ向かったとしても、それが悪い方向だと気づきにくいのである。
ではどうすれば人々はそれが悪い方向だと気付けるだろうか?
ここでわかりやすい毒の出番である。
わかりやすい毒が目につくようになれば、人は「何か間違っていたかもな」と思い始める。
子どもが非行に走った際、親が教育を間違えたと思うように。
そこで今一度何が良くて何が悪かったのか、何がどうであったのかを考え始める。
つまり内省だ。
これである。これのおかげで気づきが得られる。
まとめてみれば、わかりやすい毒は内省を促す作用があると言える。
本当にこれでいいのか?こいつみたいになっていいのか?こいつみたいになっていないか?
こうして受動人間は能動的に考えるきっかけを得て、それが全体の軌道修正に繋がるというわけである。
*
とはいえ毒は毒。
毒が近辺にあるのはやはり精神衛生上良くない。
ので、毒の出番は気づきを得るまででいい。
気づきを得たら、毒とはすぐに距離を置いたほうがいいと思う。
じゃないと感染します。