悠々と急げ_あーだこーだ / 論語3 (10~12篇)
行動
あーだーこーだやってるうちにもう24歳。
まだ24歳?
たぶん「まだ」が正しいのだと思うけど、まあそれぐらいで思ってた方がいい。
開高健が「悠々と急げ」って言葉を残したけど、それが少し分かってきた気がする。
急ぎすぎると何も残らないし、ゆったりしすぎると何も残せない。
だから着実に、一つ一つではあるんだけど気持ちは前に前にって。
あ、ちなみに今日の考え事はマネーとクレジットについて。
この動画を見て自分なりに考えた。↓
https://www.youtube.com/watch?v=NRUiD94aBwI&list=LLxATO69H2wAANHmYWsi4Sdw&index=2&t=0s
多分これは少し前の論理だと思う。
大方合ってるけど、マネーとクレジットの割合や、中央銀行の影響力等、所々違和感あるなぁと感じるところがあった。
それと、このクレジットでのマネーというのはほとんどが長者番付に名前が乗る人たちの問題で、実はそこまで応用できるものではないのではとも。
や、自分がまだ理解できてないだけか。
これについてはまだ考えが固まってないので、引き続き検討したいと思います。
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論語3
今日の論語は10~12篇
1. 君、命じて召せば、駕を俟たずして行く。
これは、孔子が君主に呼ばれたら、馬の用意を待たずに徒歩で向かったという話。
結局孔子は馬に追いつかれるのだから、歩いた分だけ体力の無駄と思うかもしれない。
だが結果はそうだとしても、孔子は現代で「無駄」と切り捨てられるこの徒歩の部分に「何か」大事なものを見ていたのだと思う。
それは人と人との間にあるもので、論理や理屈だけでは表わしきれない、人間同士には確実に不可欠な要素の、そういう不確かなものの存在。
現代で「コミュ力」が求められているのも同じ理由だと思う。
同時に、頭脳明晰な東大生の人生が必ずしもうまくいくとは限らないのも同じ理由。
この孔子の行動ができる人は周りに愛されるし信用される。
やろうと思ってもなかなかできない、打算だとしても。
それと、こういう行動に出るってことは余程大切な人だったということだろうなぁとも思う。
孔子は挫折だらけの人生と案内されがちだが、案外幸せ者な人生だったのかもしれない、とか思ったりする。
そういや俺もお婆ちゃんが危篤の時はがむしゃらになって帰ったな。俺はお婆ちゃんのことが本当に好きだった。