自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

うーん / 論語1 (4~6篇)

  

どうしたものか.

 

俺は社会に適応できないらしい.

 

ただ人生を楽しむことは忘れていないので, まあ生きていくことはできる.

 

うーん

 

間違えた

 

社会というか, ビジネスマンに向いてないんだな.

 

農家とか漁師とかは向いてると思う.

 

うーん, ただ今は大変そうだよな

 

農家か漁師なら漁師になりたいけど.

 

うーん, 他に何か選択肢はないものか ?

 

なんかありそうなものだけどな

 

あっ, 自分で作るっていう感じだろうか ?

 

まあそれには情熱が必要だな

 

何かないかなぁ

 

なんか, ビジネスマンは嫌なんだよね.

 

それ以外で, なんかないかなぁ...

 

とりあえずそろそろ大学卒業するから生活費は稼がないとな.

 

 

 

*

 

 

 

論語

 

 

今論語を読んでいるのでそれのアウトプットをしたいと思う. (一気に通読できる完訳「論語」著: 佐久 協)

 

論語は全体を20篇に分けられることが多いんだけど, だいたい1日に3篇ぐらい読んでいこうかなと思ってる.

 

実は昨日1〜3を読んだので今日は4〜6.

 

以下, 気になった箇所をあげていく.

 

 

1. 子貢曰く、我れ人のこれを我れに加えんことを欲せざるは、吾れまたこれを人に加うることなからんと欲す。子曰く、賜や、爾の及ぶ所にあらざるなり。

(公冶長第五から抜粋)

 

 

2. 冉求曰く、子の道を悦ばざるにあらず。力足らざればなり。子曰く、力足らざる者は中道にして廃す。今女は画れり。

(雍也第六から抜粋)

 

 

3. 子曰く、中庸の徳たるや、それ至れるかな。民鮮なきこと久し。

(雍也第六から抜粋)

 

 

まず1からざっと意味を書いていこう。

 

1は、子貢が自分がやられて嫌なことは他人にしないと言うのに対し、孔子がそれはお前が簡単に決められることじゃないと説く話。

 

2は、冉有が孔子の教えはありがたいが自分は力不足で全う出来ない、対して孔子がお前は出来ないのではなくやってないだけと窘める話。

 

3は、バランスがすべての要という話。

 

1に関しては自分も子貢と似た考えをしていたので考えさせられた。

 

おそらく孔子は、人はみな違うので自分がこうだから他人もこうと決めつけるのは傲慢だ、と言っているのではないかと思う。

 

確かに、お喋りが好きで話しかけられたい人もいれば、一人が好きで放っておいてもらいたい人もする。

 

相手をよく見て、その人に合わせて接しろということなんじゃないかなと思う。

 

次に2だが、これは今日俺が考えていたことと被るところがあったので選んだ。

 

俺は今日「苦しみはしたいこと/できることの間にあるのではないか?」と考えた。

 

自分がしたいけれども、できなかったら苦しいよね。

 

だから自然と、できる/できないで行動を決めてしまう。

 

しかも、これが厄介でできる/できないなんてまあ答えが出ない。

 

そこでふと「できる」という言葉自体に引っかかった。

 

「できる」って言葉には未来予測が入ってるよねと。

 

俺は基本的に未来予測はあまりしない主義だ。

 

なんでかというと、先のことを考えてもあんまり意味なかったことが多かったから。

 

つまり、未来はどうなるか分からないと。

 

にも関わらず、「できる」って言葉は簡単に使われがちだ。

 

だから少なくとも、自分のしたいことに対してはできる/できないでは考えないでおこうと決めた。

 

代わりに、する/しないの選択肢を用いる。

 

じゃあする/しないはどうやって判断していくの...とこう色々と考えたわけだがそれはまた今度。

 

とりあえず似た話が出てたのでチョイスしました、ということで。

 

孔子も冉有に、出来る出来ないではなく、やるかやらないかの話をしてますね。

 

最後に3について。これはまあ戒めという感じで取り上げました。

 

昨今尖った人材になれだのなんだの言われるが、正直そんなもの目指したら偏ると。

 

バランスを取るということについて改めて考えたいと思った次第です。

 

「人」って字も、これを人が立ってる姿と見なしたら二本の足でバランスを取って立ってるしね。

 

というわけで今日はここまで。

 

また明日。