自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

蚊トンボ

 

蚊トンボ

 

風呂上がり、洗面所で頭を乾かしていたときのこと。

 

ふと左をみると、蚊トンボがいた。

 

白色の壁に長い手足でジッとしている。

 

なんだ、蚊トンボか

 

敵の頼りない体を確認し、身の安全を悟ったので、意識は再度頭を乾かすほうへ向かった。

 

あとは若干の湿りを拭うだけ、というとき、横で何かが動いた。

 

ヒョイと振り向くと、

 

そこには、水滴があたったのか蚊トンボが激しく小刻みする姿があった。

 

それをみた瞬間、ゾワっと全身の毛がよだつ。

 

蚊トンボにさっきまでの頼りなさはない。あるのは気が狂うほどの必死な動きだけだった。

 

もはや身は安全ではない、無意識がそう判断したのか、以降蚊トンボの動向が気になって仕方がない。

 

なんとか頭は乾かしきったのだが、その後床に入ってからも、どうも蚊トンボが頭から離れない。

 

俺はあの蚊トンボに何かをみていた。

 

いくらか考えると、漸く人間と重ね合わせていることに気づいた。

 

最初の弱々しく頼りない蚊トンボ。これはまさにヒト一人の姿だ。

 

山や海など大自然にいると感じやすいのだが、人間も本来は壁にはりついていた蚊トンボのように、弱々しく頼りない生物だ。

 

それがどうだ、ひとたび水滴があたり身の危険を感じると殺されまいと必死にもがく。

 

ああ、これも人間だ。

 

弱々しくなんの力もない蚊トンボや人間だが、いざ追い詰められたとき、狂気といえるほど必死になったとき、

 

そこには脅威がある。

 

少なくとも、蚊トンボが俺を脅かしたように、自分の数十倍の相手を脅かす力がある。

 

俺は蚊トンボに人間の可能性をみた。

 

いざとなれば、なんとかなる。

 

少なくとも、蚊トンボは俺を追い払った。