自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

子どもから大人に変わるとき、何を得て、何を失うのか

 

子どもから大人に変わるとき、何を得て、何を失うのか

 

よくこのことを考える。

 

果たして、俺は何を得る代わりに、何を失うのか。

 

落ち着くところは大体こうだ↓

 

得るもの → 社会的な立場、他人の目からの解放、快楽

 

失うもの → 想像力、わくわく感、希望、可能性、真摯さ、好奇心

 

大人とは何か、子どもとは何か、ということは今回割愛する。

 

私は子どものほうが好きだが、

 

子どもの気持ちを持ち続けると、困ることも多々ある。

 

例えば、他人に馬鹿にされやすい。

 

空気を読まず自分の思う通り行動したり、真摯に他人と向き合おうとしたり、そういうことをすれば必ず抵抗を受ける。

 

周りから、ニヤリ、という笑いで攻撃される。

 

場に合わせて、恥ずかしくないことをすれば受け入れてもらえるだろう。

 

だが、果たしてそれで満足かと言われると、それだとどうも心の底から笑える気がしない。

 

そんな生き方をしていると、気がつけば何も残らず20年ぐらい経っていそうだ。

 

それでは悔いが残る。

 

だから、馬鹿にされて恥ずかしい思いはするけれど、

 

恥はかくものだと思うようにした。

 

むしろ、かいた恥の数は名誉の数と考えるまである。

 

そういうわけで、言うまでもないが俺は大人に変わる気はない。

 

正直、快楽の誘惑に流されそうになることは多々あるけれど、それでもこの生き方をしていれば、

 

少なくとも悔いは残らないと思う。

 

人としての道を違えなければ、大人を選ぶも子どもを選ぶも、それは好みの問題だと思う。