自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

コミュニケーションが大事って世間はよくいうけれど、コミュニケーションって実のところ何だ。

 

 

犬はニオイでコミュニケーションを取るらしい。

 

私も実家で犬を飼っていたが、たしかにそれらしい行動は見たことがある。

 

たとえば散歩中、

 

道端に転がっているフンの元へ寄り、わざと被せてマーキングをする。

 

マーキング前には執拗にニオイを嗅ぎ、なにか考えているような顔をする

 

一体何をしているんだ

 

そう思っていたが、あれは犬風のコミュニケーションだったのだと気づく

 

人間にはなかなか分からない感覚だが、犬はフンや尿を通して会話をしているのだろう

 

中には意中の相手と、交換日記風に秘密のやり取りをしていることもありそうだ

 

ほかの犬達に関係がバレないよう、ニオイに二人だけの暗号をかけたり...

 

会話でなくても、一対多の関係で情報をシェアしている可能性だってある。

 

人間でいえば本といったところか。

 

みんな!飼い主がオヤツをあげたくなる瞬間は○○らしいぜ!!!

 

みたいな。

 

ニオイコミュニケーション、馬鹿にできないな。

 

そんなことを考えたあと、最寄り駅へと向かった。

 


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以前記事に書いたが、

 

私は電車に乗るとき窓際に立つようにしている。

 

 

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車内の喧騒が嫌というのもあるが、車窓から外をみていると落ち着くし楽しいのだ。

 

空だって見れるし、ちょっと視線を下げると街並みだって目に映る

 

最近は建物をみることが多い

 

都会の建物は画一化の流れにあるが、

 

ちょっと郊外へいくとさまざまな形の建物がある

 

形だけでなく、色だったりレイアウトだったりが多様で、

 

なぜそれにしたのか

 

これを考えるのが楽しい。

 

一軒家だったら、個人としては人生最大の買い物だろうし、

 

ビルだって会社からしたら大きな投資のはずだ。

 

大決断も大決断

 

悩んで悩んで決めた末のデザイン。

 

それなのに、なぜそれにしたのか。

 

変わった建物をみるたび、ストーリーを勝手に想起してしまい

 

可笑しさがとまらなくなる。

 

これだけでも十分時間は潰れるのだが、

 

建物の楽しみ方はまだある。

 

建てるまでもそうだが、

 

建てたあともなかなか興味深いのだ。

 

そこには当然人が住むわけで、

 

期間はそれぞれだけれど、

 

大体の人は多くの時間をそこで過ごすことになる。

 

人が長い時間いた場所は痕跡のようなものが残ってしまう。

 

ただいるだけでも空気がモワッとしたり、部屋がちょっと汚れたり。

 

その上、人間は自分に合わせて住処をカスタマイズするので、

 

痕跡どころか個人の個性までその場所に残ることがある。

 

こうなると、住人のストーリーが想起されてひとつのドラマが出来上がる。

 

あぁ、がんばれ。住人よ。妄想の中の人たちよ。

 

ふと我に帰ると、そろそろ目的地だ

 

 

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人間は生活の痕跡を残そうとして残しているわけではない。

 

むしろ残したくないと思っている人の方が多いだろう。

 

だが、

 

はたしてその認識は正しいのだろうか?

 

私はたまに逆の意図を感じるときがある。

 

身近なところでは、

 

下品な話ではあるが、

 

父親のウ○チがそうだと思う。

 

皆ッッ!大黒柱ッッ!ッであるッ!!この俺がッ!ここにいるッッッ!

 

 

あとに残った強烈なニオイは

 

このような意思を主張しているんじゃないだろうか。

 

そう思うときがある。

 

コミュニケーションって実は奥が深いのかもしれない

 

何かって言われたらそれはよく分からない。