自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

書くことについて

 

今日一日

 

といっても昼頃から夕方にかけてだが、

 

書くことについて考えていた。

 

「書く」って言葉はかなりぼんやりしている。

 

みんな書いているのに

 

人によって全く違うものができあがる。

 

この差はどこからくるのだろう

 

そう考えてみると、

 

まず一番大きな違いとしては

 

書く対象に違いがあるのではと思いついた。

 

まずは大きな 2つの違い

 

現実と妄想。

 

現実をもとに書くか

 

妄想をもとに書くか

 

これだけでも書かれたものは大きな違いがでてくる

 

現実のほうは分析してみたり、個人の感想を書いてみたり。

 

主観と客観の両面から書かれることが多い。

 

妄想の方はどうか

 

妄想に客観はないよなぁ?

 

どうやら主観で、自分の好き勝手になんでも書けそうだ。

 

こう考えたとき

 

気になることが 2つでてきた。

 

・現実と妄想の違いってなんだ?

・主観と客観の違いってなんだ?

 

まずは定義を調べてみた

 

現実  (引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E5%AE%9F)

いま目の前に事実として現れているもののこと。 あるいは現実とは、個々の主体によって体験される出来事を、外部から基本的に制約し規定するもの 

 

妄想(引用:https://kotobank.jp/word/%E6%83%B3%E5%83%8F-89522

既知の事柄をもとにして推し量ったり、現実にはありえないことを頭の中だけで思ったりすること
 

 

妄想のほうは、思っていた意味と違っていたので「想像」で検索した。

 

私の考える妄想は、定義の上では想像の意味に近かったようだ。

 

一見、現実と妄想の違いはわかるような気がする。

 

今目の前にあるこれが現実でしょ?

 

そうとも思えるし、そうとも思えないところがある。

 

たとえば統合失調症の人は、よく妄想の世界で生きていると言われる。

 

だが本当に、彼らは現実を生きていないのだろうか?

 

私たちからみた「今目の前のこれ」が現実であるように、

 

彼らからみた「今目の前のこれ」は現実なのではないだろうか?

 

違うというのならこう考えてみてほしい

 

私は正常だ、と思っているそこのあなた、あなたは実は統合失調症で

 

周りの人からみたら不可解な行動をとっているのだけれども

 

あなた自身は、自分は現実を生きていると実感している。

 

この場合、あなたは現実を生きていないのだろうか?

 

私がこの立場なら、私は現実を生きていると答えるだろう。

 

書くことの大きな違いに、

 

現実をもとにするか、妄想をもとにするかで違う、と書いたが

 

実はあまりはっきり分かれていないものなんじゃないだろうか。

 

本当のように語っているものでも、

 

実は本当じゃなかったり、

 

デタラメなようなことを書いているようでも、

 

実は真理を語っていたり。

 

この時点で、主観と客観についてはどうでもよくなってきていた。

 

もし、この世界がすべて妄想の世界なら、

 

だってそこに客観なんてないことになるじゃないか。

 

主観も客観もただの言葉遊びになる。

 

だが、こうなるとどう書けばいいのか分からなくなってくる。

 

それは困る。

 

だから、私なりに書くことについてのケリをつけておきたいと思った。

 

それは満足のいくものでなかったとしても、

 

自分はこう思う、そういうものを持って前へ進んでいきたい。

 

だから、正しいか正しくないか、そんなことはすべてかなぐり捨てて、

 

自分なりの「書く」という行為、これに対する見解を文字にした。

 

気取っていて、読みづらく、意味があるのか、考えているのか、そう思うような文章だが、ぜひ皆さんに読んでいただきたいと思う。

 

それでは、私の書くことについて、これの見解を載せておきますので、どうぞご覧ください。

 

 

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タイトル:書くことについて

 

 

上手に分けられない
何がどれでどれがどれと繋がるのか、これは一瞬の発見であり、
次の瞬間もそうであるとは限らず、また、そうでないとも言えない。


物書きの行う書くという行為は、その一瞬の発見を文字として描き出すことか

何がどれほどクリアに見えて、関係性を心地よく受け入れられたとき

これだという感触で筆が動くのではないか。


だから、書くことの公式はオモチャのようであり、満足のいくものを作りたければ
腰を据えて一瞬を捉える必要がある。
この先続いて、ましてや他人もピタリと合うオモチャは見つからないだろう。
誤魔化すことは他人にしか通用しない。


このことから
書くという行為、
これに関して、
私が常に私であるということをしなければ、
嘘を書くことになってしまう。
書くと言う行為は、私が私であり続け、
誤りや批判の不安、
これをツナワタリをするような姿勢で
この中を突き進むのだ。

 

 

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