自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

気を遣うということ

 

いつからか、「気を遣う」相手は他人ではなく身内に変わっていた。

 

幼少の頃、私は他人に対して過度に気を遣っていた。

 

いつも周囲の顔色を伺い、すこしでも不快な雰囲気を察すると

 

すぐに場を和らげようとしたものだ。(結果は置いておく)

 

自分からしておいてオカシな話だが、

 

気を遣った後しばらくは、

 

「俺とこの人の関係は、気を遣わないと維持できないものなんだ」

 

と考えてしまい、辛くて苦い気持ちになった。

 

そのせいか、他人と関わるのは面倒になっていた。

 

反対に、身内 (親兄弟を想定)に対しては甘えっぱなしで

 

やりたいことと、やりたくないことは隠さず主張していた。

 

その振る舞いはまるで王様のようであり、

 

身内はたいそう困ったことだろう。

 

だがどうだ

 

時が経てば経つほどに、それは反転するようになってきた。

 

最近では、他人に対して気を遣うことはほとんどない。

 

社会の一員として最低限のマナーは守るけれども、

 

世の中には様々な人がいるのだし

 

気を遣ってもしょうがないという気持ちがある。

 

気を遣えるほど余裕がない、というのもある。

 

一方で、身内。

 

彼らに対してはかなり甘くなった。

 

 特に、人生がうまくいっていないことを察知したときには

 

おちょくることはもちろん、

 

そもそも話題に挙げないように配慮している。

 

辛くて苦い気持ちだ。

 

そうして関わることが億劫に...

 

変えなばならぬと思っている。

 

原因があるとすれば、それは自分の方だ

 

だが、どうすればいいのか、分からない。