自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

不安の正体

 

不安とは何か?

 

それは、「自分が自分に課したノルマ」である。

 

何を言っているか分からないって?

 

以前「もう一人の自分」について話をした。

 

一人の人間には必ず二人の人間が住んでおり、片方は自我を持つ自分でありもう一人は無意識下にいる賢く優秀な自分という話だ。

 

私たちは自我側なので残念なことにもう一人の自分の声を聞きづらいのだが、彼はなんとか自我の自分を助けようとしてくれている。

 

それはとても間接的で、たとえば嫌なことを二度と経験しないようにしっかりと記憶してくれたりする。耐えられないほど嫌なことであれば自我側には思い出しづらくしてくれたり、でも同じ経験をしないように当時の状況に近いものをコッソリ避けようとしてくれたりもする。

 

とにかくあの手この手で自分を守ろう・助けようとしてくれるのがもう一人の自分だ。

 

もうお気づきだろうか?

 

そう、不安は「もう一人の自分」が自我側の自分(今意識している自分)を助けようとしてくれているサインなのである。

 

人は不快な状況から脱したい。不快から逃れるためにはエネルギーを惜しまない。

 

だから自我の自分に足りないところがあれば、克服させるために不安を与えてエネルギーを引き出す。

 

そうすると自我の自分は「不安」から抜け出すために必死となり、以前と比べて変化することができる。

 

その時、克服して変化するまでの判定を不安が行ってくれているのである。

 

だから、不安とは案外便利なものだしそう悪くないものだったりもする。

 

いや逆に成長のチャンスが来たと捉えることさえできる。

 

だって、何かに本気になるなんてやろうと思ってできることではないでしょ?

 

不安があったり何かしら心底から感じることがあってから、始めて何かに取り組めるのだから。

 

まとめると、今回覚えておいてもらいたいことは不安は悪いものではないということ。自分を成長させるための合図でありノルマだ。不安が消えるまでは何かに本気になれるし(エネルギー料がお得)、終わったあとには一皮向けた自分がそこにいる。

 

 

 

 

薄々感じてはいたが、もう一人の自分は重要なキーワードかもしれない。

 

自我の強みは意識できることだから、もう一人の自分をもっと意識していこう。

 

そうして二人で阿吽の呼吸になればそれが幸せというものなんだろうか。

 

 

 

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今日の論文

 

さて、今日は伽藍とバザールという論文を見ていこう。

 

ソフトウェア工学の分野なので専門用語が多数出てくるけど、内容は意外と一般的に使えるものです。

 

具体的な話は省き、一般化された部分だけまとめます。

 

ではどうぞ。

 

 

 

title: 伽藍とバザール

 

問題発見・解決について→ 別々の人でいい
謙遜について→ 他人を上げれば自分がもっと上がる
デザインで壁に当たった時の対策→問題の捉え方が間違いだと認識して捉え直すこと(正しい質問をしているのか)
デルファイ法は有効→ 集団の意見を何度も集約して平均的な知見を見いだすこと
コミュニティ形成で重要なこと→ まずvisionを示すこと
コーディネーターに必要な能力
◯他人のよいデザイン上のアイデアを認識できる能力(情報収集能力+ 活用力が前提)

×閃き、アイデア

最高のハックの方法→ 個人的に日常問題を解決しようとして始まる
2つの原理の違い
1 命令と規律→ 軍隊で機能する

2 共通の理解→ 強いコミットによってのみ達成できる状況で機能する

プロジェクトの育て方→ 関心を育て人にやらせると勝手に動く
いい挑戦の仕方→ 簡単すぎず難しすぎないこと
いちばん頭のいい仕事の仕方→ 遊ぶこと
あらゆるものに共通すること→ 楽しみが能率をあげる

 

 

 

 

仕事をどう遊びに結びつけるか、

場の設計はプログラムを書くのと同じかそれ以上の価値がある、

そして最高のハックは始めるのではなく始まる。ここらへんに主張が詰まっているのではないか。

楽しみつつ価値を生み出す。価値は場を設計すれば他人が生んでくれる。そういえば幻冬社の箕輪という編集者が似たようなことを言っていた。彼も成功しているし、これは現代のルールなのかもしれない。