一歩目、続く二歩目
「まず一歩目を踏み出すことが大事。成功した人、夢をつかんだ人がいるが、ただ一歩を踏み出したか踏み出していないかの差。」
一歩目の重要性を説く人や本は世の中にたくさんある。言い方は様々だけれど、とにかく始めなさいと。
僕はまだ一歩目の重要性を説けるほど成功してはいないが、一歩目自体はもう踏み出している。このブログもその一つで、show roomの前田さんが「面倒なことをやれ」という動画をみて、1年間毎日投稿を目標として日々欠かさず書いている。
ちなみに一歩目の記事
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一歩目の感覚は分かった。このブログも始めて三ヶ月を過ぎるが、たしかに振り返ってみれば一歩目は重要だった気がする。一歩目に必要なことは勇気で、あそこでエイヤッ!と飛び込まなければ今はなかったと断言できる。
だが飛び込んで終わりではない。その先には続く二歩目がある。一歩目は一歩目の難しさがあり、同時に二歩目にも二歩目なりの難しさがある。
それは何か。
おそらく答えは継続の問題だと思う。どこまで続ければいいのか分からない中で成功するまで継続するというのはなかなか辛いところがある。
では継続できる人とできない人の差は何だろうか。たまに努力や根性の問題と答える人がいて、しかもそれは生まれた時点で決まっているなんて主張をするのだが、私の思うところではそんなチャチなものは関係ない。
答えは極めてシンプルで、「楽しめているか」この一言に尽きる。
楽しみを見出すことは努力を上回る最強の武器だと僕は思う。楽しいから夢中になれるし、夢中だから時間なんて度外視でやり込める。努力とは違って精神的負担がまったくないし、それどころか返って人生が豊かにさえなる。
つまりやればやるだけプラスになるということだ。この状態にまで持っていければあとは勝手に回り始める。(好きこそ物の上手なれの真意はここにあるんじゃないだろうか)
そういうわけで、二歩目をクリアするには継続しなければならず、継続するには楽しみながらやるのが一番というわけだが、実は一点だけ意外な落とし穴がある。
それは、楽めないものもあるということ。
こればかりはやっていてもしょうがない。いくら楽しみを見出そうとしても無理なものは無理である。適性がなかったと諦めて次に進むしかない。つまり一歩下がって、もう一回最初の一歩を踏み出すしかない。
というわけで「楽しむ」、だが楽しめないこともある。その場合は楽しめるものを探す。というのが結論だ。二歩目の先は何が待っているのだろう。考えるとワクワクするので早く先に進みたいところだ。
ちなみに、冒頭の言葉はAKB総合デューサーの秋元康さんの言葉です。
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今日の読み物
今日から「今日の論文」は視野を広げ、「今日の読み物」に変わりました。
読み物は対象は本でも雑誌でも、webの記事でもなんでも興味が出たものを扱います。
では今日の読み物、参りましょう。今日はwebの記事でエッセイの書き方を紹介している読み物です。
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Title: エッセイの書き方のコツ――魅力の所在はどこに?
URL: https://www.bungeisha.co.jp/publishing/kakitai/article_195_16.jsp
●エッセイは気をつけなければ、日記になる
●エッセイと日記
共通点: 体験談である
相違点: 日記は出来事を綴る、エッセイは著者の感性を綴る
●エッセイ読者はどんな人か?
特徴: 決まった作家の作品を追う傾向にある
理由: 著者の目を通して眺めること自体が好きだから
目を通して眺めるとは?: 著者の反応を楽しみということ (行動、捉え方、感じ方、考え方)
なぜ楽しいのか: 共感、新鮮さ、面白みがあるから
●結論
つまり、エッセイを書くコツ: 作品に個性が出ること
個性とは何か?: 感じたこと、考えたことを書けば感性が現れて個性になる
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いかがでしたでしょうか。エッセイって知ってるようで説明しろって言われたら難しいですよね。でも「著者の感性」というポイントを知っていれば、エッセイの特徴が滲み出てくるのではないかと思います。
僕の日記も出来事というよりは思ったことや感じたことを書くようにしているので、どちらかというと日記というよりはエッセイに近いですね。いつかエッセイに近い創作物(完全妄想ではなく、体験から派生して創作する物語)を作って世に出してみたいけれど、そのときはきちんとお金を頂けるような「作品」に仕上げないといけませんね。まあ、今のところは硬く考えず自分と向き合うのを楽しみながら書いていこうかな。