違いとは、ほんの少しの差のこと / 論語6 最終日 (19~20篇)
質問。
「とても敵わないな」と思った他人はいますか?
...。
俺はいます。
勉強にしても格闘技にしても、これは超えられないな〜と思うことがよくあった。
東大理三は目指そうとも思わないし、井上尚弥には追いつけそうもない。
まあまあまあ。
話を広くしすぎた。
もっと狭い範囲の話をしよう。
あいつは彼女いるのに俺は...
あいつは儲けてるのに俺は...
こんなことありませんか?
俺はある。
いつの間にか、自分には無理だって諦めてること...
ありませんか?
俺はある。
あ、正確には「あった」。
というのも、
理三や井上尚弥は置いといて、
自分とそこらへんにいる人との違いって、
正直あんまりないって気づいたから。
あるのは「ほんの少しの差」だけ。
それは意識の仕方とか、受け取り方とか、考え方とか、経験とか
実はなんてことない、ちょっとしたこと。
なのに、まるでそれが運命かのように諦めてしまっていた。
とはいえ、どうすればその「ほんの少しの差」を埋められるのだろう?
答えは簡単。
その人に聞けばいい。
例えば彼女なら、どうやって作ったのって
例えばお金儲けなら、どうやって儲けたのって
聞いたら、その時はもう今までの自分ではない
またどうすればいいか考えて行動に移せばいい。
そういう一歩一歩の積み重ねが
「ほんの少しの差」
なんだと思う。
違いはいつも、ほんの少し。
*
論語6
今日は最終日です。
19〜20篇から気になったものを紹介。
孔子曰く、命を知らざれば、もって君子たることなきなり。礼を知らざれば、もって立つことなきなり。言を知らざれば、もって人を知ることなきなり。
これは、君子であるからには天命(やるべきこと)を意識し、活躍するには礼儀を尊重し、人を理解するには言葉に耳を傾けよう、という話。
だと自分は思っています。
読んでいる本の訳とはちょっと違ってた。
これを選んだ理由。
最後の言葉に対する見方が自分と似ていたから。
というのも、俺は自分を知りたいときは自分の使う言葉をよくよく注意する癖があるので。
言葉は無意識をとても表していると思うし、使う言葉で無意識を変えられるとも思っている。
孔子も言葉を大事にしているのを見て、なんか嬉しかったので挙げました。
ということで今日はここまで。