親心と過保護の境目
最近、親が過干渉だなぁと感じる。
やけに俺の近況を知りたがり、SNSで連絡をしてくる。
過保護
というワードが頭に浮かぶ。
同時に、向こうはそんな気ないことも分かる。
親切心だったり、親心だったり、単純に息子が心配だったりするのだろう。
だが、今は巣立ちの時。
大学を卒業して、ようやく、お金を貰う側から与える側になったところ。
ようやく親からの仕送りが終わったところ。
そんな時、親が子を手助けしようとしてどうする。
自立しようとしている者に、手を差し出す行為は、決してその人のためにはならない。
自立しようともがく時、たしかに辛い思いや苦労はする。
だが、それは必要な苦労だ。
この苦労が今後を支える糧になる。
今手助けするということは、この糧を奪い取るようなもの。
それ即ち、今後一生誰かに甘えて生きていくようになる。
ああ、それは悲劇すぎる。
親は内心甘えてほしいのかもしれない。
だから手を差し出したがる。
だが、ここは断固拒否するべし。
自分がきちんと自立するため、そして、親を思うのであればこそ、そうする以外はない。
なぜなら今きちんと自立しなければ、今後弱っていく親を頼りにしてしまい、近い将来共倒れになってしまうからだ。
それを避けるために、自分が二本の足で立ち、親を背負っても踏ん張れる覚悟をしておくのだ。
それを邪魔するとは。
まあ、向こうにも言い分はあるだろうけれど、それはこっちにもある。
というわけで、俺は俺の考えでいかせてもらう。