見限ったものの中に
俺は高校時代に音楽に見切りをつけた。
正確にいうと、音楽自体はまだ好きだ。
それでも、心の底からその力を信じているわけではない。
辛く低迷していたときに好きな音楽を聴いても、何も感じなかった。
それどころか、お前らはどうせ今は大した悲しみじゃないだろとか、成功したくせに辛いだのなんだのうるせえとか、形ばっかだろとか、そういうことを思ってしまった。
結局、あの頃の俺を救ったのは睡眠と時間と自動車学校だった。
まずはとりあえず寝た。
起きているだけで際限なく嫌な想像をしてしまって、もうどうしようもできなかったからだ。
おそらくあのまま起きていたら、最悪の事態にもなっていたんじゃないかと思うぐらい、あの頃は危なかった。
4日か5日ぐらいは、ずっと、寝ることだけを考えていた。
すると次に少し余裕が出てきて、ご飯を食べようとか、ちょっと音楽を聴いてみようとかいう気持ちが湧いてきた。
睡眠と時間が俺を助けてくれたのだ。
次は、外に出ること、何かやることを求めた。
それもただ言うことを聞いていればいいだけの、とても楽なこと。
それが俺にとっては自動車学校だった。
俺は辛いとき、音楽に助けてもらえなかった。
だからあの頃音楽を見限ったけれど、最近は見直すようになってきた。
確かに辛い気持ちは、シャッターを閉じた後の俺の心に音楽は届けられなかったけれど。
音楽っていうのは、届ける側にとったらこれ以上ない表現かもな、って。
伝える側にたつと音楽って凄くいいものかもしれない。
見限るのは早かったなって、今は思う。
音楽で直接は救えないかもしれないけれど、使いようによっては人間の強い武器になる。
音楽は地球と共に生きている。