自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

俺が子供をガキと呼ぶ正当な理由

 

俺は子供をガキと呼んでいる。

 

滅多なことでは子供とは呼ばない。

 

もちろん、会議の場であったり、公の場であったりする場合にはやむなく使用することはある。

 

だがプライベートで、俺の自由になるところについては、子供をガキと呼ぶことで統一している。

 

なぜガキと呼ぶのか?

 

それはひとえに、子供という言葉に気色悪さを覚えたからだ。

 

それもこれも気色の悪い大人に理由がある。

 

子供は庇護の対象として、大事に大事に扱われる。

 

だからか、半数以上の大人は子供の前では声が変わる。

 

「どおぉしたぁのぉ〜〜ぼくぅ〜〜?」

 

寒気がする。

 

こんな喋り方をする人間が今現在何億と地球を這いずり回っているのだ。

 

何が気色悪いって、この喋り方もそうだが、それ以上に子供を特別視しすぎていることだ。

 

子供は無垢だ天使だなんて思い込んでるから、こういう行動に出てしまう。

 

そのレッテルが俺はもうダメなのだ。

 

ああ、俺はこいつとは会話できないな、と思わせてくる。

 

しかも第一、子供のほうだってあんな話し方されて嬉しいわけがない。

 

つまり、この喋り方で得をしているのは、子供に優しいアピールをして周囲から高評価を得られる気色悪い当人たちだけなのだ。

 

あいつらは公衆の面前で堂々とマスターベーションをしている。

 

だから、俺はガキと呼ぶことで不当に祭り上げられた子供たちを正常な位置に戻そうというわけだ。

 

何も子供が嫌いなわけじゃない。

 

子供を利用してマスターベーションをする大人たちが気持ち悪すぎて、そしてヤツらは「子供」という言葉の印象の良さを好んで、その単語を多用することから俺の中で子供の2文字は気色の悪いものになったというわけだ。

 

そしてガキと言い続けることで、それが子供を元ある位置へ取り戻すとも考えている。

 

ガキをそんなに祭り上げるな。

 

ガキはガキだ

 

と、俺は思っている。

 

まあ実際は女ウケ悪いからあんまり口にしないけどね。