自分に嘘をつかない

内面を言葉で表現する

坐禅を始めてみた

 

坐禅を始めてみた。

 

三日目である。

 

始めたといっても、本格的なものではない。

 

まったく我流で、一日二十分、朝の散歩のあとにただ座るだけだ。

 

姿勢はなるべく良く、考え事はなるべくしないように。

 

とは言っても、次から次へと泡沫のように小さな思いが浮かんでくるし、そもそも姿勢を良くしようと思っている時点で考え事をしてしまっている。

 

と、書いていて思ったのだが、仏教では「良く」しようとすることすら「欲」になるらしく、これって坐禅の最中に姿勢を良くしようとすることと似てるなーと思った。

 

なんというか、良くしようと思ってる時点で、違うというか。

 

そもそも姿勢が良くないということは、それって普段から姿勢が良くないわけで、坐禅の瞬間だけ「良く」しようというのは違うのではないかなと。

 

うろ覚えだけれども、誰かが日常(生活?)が禅というようなことを言っていた。

 

今少しだけその意味に触れた気がする。

 

確かに、日常から意識して、自然と体に染み付く状態になっていれば、坐禅しているときに「良く」しようなんて思わない。

 

やー、面白いね。

 

いつか曹洞宗の本山・永平寺にいってみたいものだけれど、福井はちょっと遠いからまずは鶴見の総持寺からかな。

 

本場の人らの坐禅はどんなのなんだろう。

 

気になるな。